100年を振り返る 一覧

昭和37年卒の原口先輩よりいただいた原稿から、1973年(昭和48年)
11月の大洋デパート火災(熊本)で、従業員だった剣道部の先輩、
一門幹郎先輩(済々黌高校出身)が亡くなられたということを知りました。
享年34歳。故一門先輩は、昭和37年2月に発行された「斌徳」復刊一号
に、次のような詩を遺されました。卒業を前に、書かれたようです。

森の都   商学部四年 一門 幹郎

 熊本は森の都
 樹々は緑の葉を付けて
 路行く人に笑みかけん
 紅染めし絵羽織の美しき人あり
 菊にも似たる静かさは
 樹々の間に消えいかん

 熊本は森の都
 幾星霜老い松の山並みに
 若者の声響きたり
 日傘さしたる絵姿の可憐な人あり
 白蓮に似たる清らさは
 遠き人となり行かん

 熊本は森の都
 雄々しき影の銀杏城に
 遠き昔を唱いたる

『彼がかつて斌徳に寄せた作詩「水の都」は
 水清き郷里熊本の風情を彷彿させて、強く胸を打つ』
 <原口先輩の記念誌原稿より抜粋>

100年を振り返る中で、心豊かだった先輩や、同期を思いやる慈愛に
満ちた先輩の存在を知ることができること、とても光栄に思います。

剣道部設立100周年記念誌「第五号斌徳」の原稿は締め切ら
せていただきましたが、別冊の制作を引き続き行っています。
今回は、昭和53年卒の「同期の頁」に使用予定の写真です。

S53.JPG

昭和52年3月。
九州新幹線のなかったこの時代、福岡、鹿児島、大分など、各地
を転戦したハードなこの遠征に、中倉師範が鹿児島から合流され
ました(写真中央)。
この遠征での中大剣道部員の武勇伝は数知れず。
詳細は、20年後の斌徳にて??

先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介していきます。

今回は川畑先輩(昭和46年卒)の写真、第二弾。
昭和44年卒から49年卒の先輩方です。

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昭和44年卒の先輩方  大きくして見る場合はこちらをクリック

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昭和45年、46年卒の先輩方  大きくして見る場合はこちらをクリック
懐かしい赤電話に時代を感じます。
中腰になられているのは、故杉本石英(旧姓:安部)先輩です。

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昭和46年卒の先輩方  大きくして見る場合はこちらをクリック

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津村監督(当時)と昭和47、48年卒の先輩方  大きくして見る場合はこちらをクリック
一之瀬先輩、佐々木先輩、横尾先輩、原田先輩、澤近先輩、
松永先輩などの顔が見えます。部旗を持っていらっしゃるのは、柴原先輩です。

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青山寮監と昭和46、47、48、49年卒の先輩方  大きくして見る場合はこちらをクリック

写真をご提供いただいた川畑先輩↓ありがとうございました。
kawabata.JPG
昭和43年の高野山合宿ではないか…と推測しましたが、どうでしょうか?

100周年の式典に向けて、
先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介していきます。

今回は、川畑先輩(昭和46年卒)が送って下さった写真をご紹介します。
まず上の写真、後ろに立っている人は、垂れネームが何とか判読できます。
「林田」 「蒲原」 「山崎」 「井上(?)」 「萬歳(?)」 「上西」 「宇田」 「川畑」
…といったお名前があります。間違っていたらご容赦願います。
S42.8.30.JPG

画像を大きくして見る場合はココをクリック

↑ひとり女性が写っていますが、最初の女子部員、故湯沢先輩ではないでしょうか。
この写真は昭和42年8月30日に撮影されたものですが、2年後の昭和44年11月9日、全日本女子学生剣道選手権大会で3位に入賞されました。
この時の様子は、安ケ平先輩が、記念誌に寄稿してくださっています。
ちなみにこの年の優勝者は、桑原選手(のちの川添夫人)でした。

次の写真は、昭和45年9月15日。第三回法中戦の写真です。
S45.9.15l.JPG

画像を大きくして見る場合はココをクリック

後ろの試合結果ですが、名前を記念に持ち帰ったらしく、全員の名前は見ることができません。法政の大将の渡辺選手は、おそらくこの3ヶ月前に全日本学生剣道選手権大会で2位になった渡辺隆選手。
ちなみにこの年の優勝者は、日大の久保木優選手(現在日大の監督)でした。

先輩にご提供いただいた写真から、中大の歴史だけでなく、
剣道界の歴史をも振り返ることができるというのは、誇らしいことです。

今回は、平成18年に卒業された先輩方をご紹介します。
これは、記念誌の、同期の頁用にいただいた写真です。明るい笑顔がいいですね。

なお、同期の頁制作に関するお問い合わせは高槻(平成元年卒)まで。
    ↓
 chuo_kendo@infoseek.jp

H18_1.JPG
平成14年8月 北海道合宿にて同期全員集合。当時、1年生。
  ↓
3年半経って…
H18all.JPG

H18_2.JPG
平成18年3月 送別会にて。4年間、がんばりました!

(写真掲載にご協力いただき、ありがとうございました)

いよいよ今週末は、全日本学生選手権が大阪で開催されます。
今から23年前、同じく大阪で、中山睦友先輩(当時3年生)が優勝しました。
記念誌用にいただいた原稿ですが、今年出場する4名の学生の健闘を祈り
ここで紹介させていただきます。

全日本学生選手権優勝を振り返って    中山睦友(昭和62年卒)

たまたま、全日本学生選手権で優勝という経験をさせて頂きましたが、その勝利へのドラマは人それぞれなんだなと感じたのが、この個人戦でした。
1985年7月7日は、前日の6日から、20数年経っても忘れられない思い出が数多く残っております。高級鉄板焼きにコルドンブルーに蕁麻疹(じんましん)に、本当に大変な2日間であったと…

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100周年の式典に向けて、
先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介していきます。

第8回 全日本学生剣道優勝大会
8.JPG

後列左から、宮田先輩、故矢上先輩、津村部長、故須郷先生
加賀美先輩、池田先輩、依田先輩、本多先輩
前列が原口先輩と小川先輩。

また、下の写真は、依田先輩(昭和38年卒)にお借りした、
同じ日の写真です。
WS000058.JPG

依田先輩、どうもありがとうございました。


第8回優勝メンバー(敬称略)
宮田秀昭(4年)、矢上徳(4年)、
津村耕作(3年)、原口博美(3年)、小川五十雄(3年)、
加賀美昇(2年)、池田宇一(2年)、依田育憲(2年)、
本多直彦(1年)

(平成元年の「斌徳 第四号」より)

先輩方から、続々と写真をいただいております。

s55numata.JPG
昭和55年 全日本個人戦出場のために大阪へ出発される先輩へ
        東京駅でエールを贈る沼田先輩

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昭和56年 全日本優勝後にエールを贈る沼田先輩
        (…なんで2年も連続してエール?)

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昭和58年卒と、59年卒の先輩方

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昭和59年卒と、60年卒の先輩方

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昭和60年 全日本優勝直後の津村監督(当時)と4年生。
        学生服からブレザーに替わって、初めての優勝でした。

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昭和61年3月 卒業式 前日の雪が残り、肌寒かったことを覚えています。

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昭和61年3月 卒業式 この頃の中大は11号館(総合政策学部)もなく
          正門からヒルトップ(食堂)まで見渡せました。

夏合宿の地

記念誌編集の関係で、過去の夏合宿の地を調べてみました。

昭和36年  仙台(陸上自衛隊内)
昭和37年  新潟妙高
昭和38年  和歌山 高野山  
昭和39年  福島 会津若松
昭和40年  和歌山 高野山
昭和41年  北海道 洞爺湖
昭和42年  北九州 小倉
昭和43年  和歌山 高野山
昭和44年  (なし・大学紛争でロックアウト)
昭和45年  北海道 洞爺湖
昭和46年  和歌山 高野山
昭和47年  秋田
昭和48年  和歌山 高野山
昭和49年  北海道 洞爺湖
昭和50年  和歌山 高野山
昭和51年  岩手 二戸
昭和52年  和歌山 高野山
昭和53年  北海道 札幌市内
昭和54年  和歌山 高野山
昭和55年  秋田 市内
昭和56年  和歌山 高野山
昭和57年  北海道 札幌市内
昭和58年  和歌山 高野山
昭和59年  新潟 
昭和60年  和歌山 高野山
昭和61年  北海道 洞爺湖
昭和62年  熊本 阿蘇
昭和63年  秋田 市内
平成1年  和歌山 高野山
平成2年  北海道 夕張
平成3年  熊本 阿蘇
平成4年  新潟 妙高高原
平成5年  秋田
平成6年  北海道
平成7年  熊本 阿蘇
平成8年  栃木 鹿沼
平成9年  新潟 妙高高原
平成10年  北海道 北広島市竹原高原温泉
平成11年  熊本 阿蘇
平成12年  山梨
平成13年  岡山 大原町
平成14年  北海道
平成15年  熊本 阿蘇
平成16年  山梨 川口湖
平成17年  熊本
平成18年  北海道
平成19年  大阪
平成20年  愛媛 松山(愛媛県武道館)
平成21年  熊本
平成22年  北海道

剣道部設立100周年を記念して発行する記念誌には「同期の頁」を制作予定です。
(以前も、平成6年卒の「同期の頁」をご紹介しました)

ちょうど今、原稿を書いている先輩もいらっしゃると思いますので、ご執筆いただいた先輩にご了承をいただき、昭和40年卒「同期の頁」をご紹介させていただきます。

なお、実際のページのイメージは、こんな感じ(PDF)です。

中央大学剣道部100周年(創部115周年)に寄せて 青山 旭(昭和40年卒)

S40.JPG

 先ずは、中央大学剣道部設立100周年(創部115周年)ご同慶の至りでございます。我々(昭和40年卒)の同期剣友は30名居ましたが、今年(平成20年)迄に5名の同期を失っている(柿沼・竹尾・宮崎・清水・鍋島)。彼らは学生時代それぞれの思い出を残してくれた。亡くなったことは、大変残念な思いであるが、きっと彼らも天国で100周年を祝っていることと思う。冥福を祈るのみである。合掌。
 入学時同期生の内13名が石神井公園近くの合宿所で共同生活をしていた。当時は先輩方が一人二人と民家を借り、何時の日からか定かではないが

『中央大学剣道部合宿所』

の看板を掲げた。大家さんの栗原さんは合宿所の前にお住まいで、学生の田舎から何か送ってくると、合宿所の玄関にあった小さな黒板に名前を書いていただいた。
 我々一年生は、皆田舎出身者ばかりで、合宿所の先輩には九州の方々が多かった。合宿所の会話を聞いていると、まるで九州弁が標準語のようであった。
 当時の四年生に現在の部長である津村耕作先輩が居られた。学生剣道界で赫々たる戦歴を残し、インカレで最多優勝をして居た中央大学に入学してきた一年生は、合宿所生活での先輩はさぞ厳しいものと思っていたが、先輩方は優しい方ばかりで、特に四年生の先輩は、我々一年生のよき手本になって頂いた。我々も四年生に成ったら、今の四年生のような先輩になろうと機会ある度に話をしていた。また当時、合宿所で寮歌(東の男、西の子の剣持ち集う武蔵野に……)を創ったり、ハワイアンブームの時で、津村部長の弟さんである守人先輩がエレキギターやらウクレレを何処からか調達して来られ、一年生~四年生何れかの趣味の会に入り、夜な夜な練習をし、又、津村兄弟による漫才も度々聞かせていただき、腹を抱えて笑った楽しい合宿所生活でした。反面当時悪い風習であった合宿所生と他の部員の間で一線を画くような風潮があったように思いますが、同じ中央大学剣道部員としてそのような事はあってはならないと、中倉主将を中心に話し合ってきたのも事実です。
 我々同期の中には学生時代、個人的な戦歴を残した者は居ないが、全日本学生団体戦では準優勝・優勝・第三位を経験し、良き思い出になっている。卒業後、それぞれの道に進んだ同期の中には、学員体育会・学連の重鎮として今現在大活躍している松原・林君が居り、また一般に難関と云われる司法試験(弁護士)・公認会計士・技術士・不動産鑑定士・税理士試験に合格し、第一線で活躍している者もいる。実業界へ進んだ者はもう退職者が多く、それぞれ悠々自適の生活をしているが、今なお事業意欲盛んな者もおり、今年(平成20)中国で『日本のふぐ料理店』を開店する者もいる。
 又同期の横の繋がりはどの学年よりも緊密で、自信を持って誇れる。そして同期の結束を一層固める為に、四年に一度(オリンピックの年)各地で同期会を開催しようとの声が上がり、第一回を日本列島のほぼ中心に位置する愛知県にしようということになり、当時の部長であった北島先生と監督であった須郷先生をお迎えして、第一回目の同期会を26名で開催した。以後四年に一度ずつ開催してきたが、何時の会からか二年毎の開催となり、二年先輩と一年後輩の方々と一緒に開催する事になり、現在に至っている。
 最後になりましたが、大学の部生活の中で、北島先生より度々訓話を頂きました。
北島先生曰く、

「大学四年間の部生活は、
これからの長い人生から見ればごくわずかな期間ではあるが、
その間に培った先輩・後輩・同期生の良き関係を
生涯にわたって続けて、初めて
中央大学剣道部に在籍した意義がある」

と言われました。学生時代は何も感じなかったが、65歳になった今日は、それが中央大学の剣道部の良き伝統かと思っている。

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