100年を振り返る 一覧

先日ご紹介した井上先輩(平成6年卒)の台湾遠征記に続き、現役学生からも、原稿を受け取りましたので、ここでご紹介させていただきます。これも100年の歴史のひとつとして、記念誌に掲載予定です。

台湾遠征レポート 主務 深町真

 私達中央大学剣道部は、今年3月6日~9日に、3泊4日の日程で台湾遠征を行いました。メンバーはスタッフ4名、学生31名、白石、山下、井上の3名の先輩方を加えた総勢38名でした。私は主務として、1月頃から旅行会社の方、スタッフと協力しながら準備を進めてきました。部員にとって、また私にとっても例年行っている夏合宿等とは異なり、初めての海外遠征ということで不安もありましたが、何とか全員無事に日本を発つことができました。

 今回の行程として、初日はタワー101や衛兵交代式などを見学しました。衛兵交代式では、「もし失敗したら洗いだな」などと剣道部流の解釈をしながら、衛兵の一挙一動に見入っていました。2日目は林家花園、故宮博物館、行天宮を観光し、夜は台湾チームとの試合及び飲み会へ。私達は「剣道でも酒でも勝つ」の言葉通りに、主将大亀を筆頭に台湾チームを撃破しました。そして3日目、皆思っていたよりも元気で、淡江大学に到着。しかし、ここで誰もが予想していなかった「追い込み」をすることに。勿論一人残らず、ばてていました。そして2日目と同じく試合及び飲み会へ。皆、本当に美味しい料理とお酒を頂ました。最終日は龍山寺での観光を終え、ショッピングを済ませ台北を発ちました。22時前には寮に到着し、私達の遠征は幕を閉じました。

 今回の台湾遠征を通して、私は
「スポーツを通して文化の交流を行うことの大切さ、そして素晴らしさ」
を感じました。国内での遠征では得ることのできない物が多くあったと思います。台湾の方々は皆親切で、試合稽古、そしてパーティでも大変御世話になりました。また、中央大学剣道部のチームワークの良さも強く感じました。一人一人がお互いを尊重し、学び合うことのできる、まるで家族のような最高の部であると思います。

日本一という忘れ物を取りに行くために、この遠征で学んだことを糧に努力していきたいと思います。

 最後になりましたが、この遠征のために様々な準備をしてくださった方先輩、旅行会社の生島さん、そして台湾の方々にお礼を言いたいと思います。本当にありがとうございました。

100周年を祝して発行される記念誌に、続々と寄稿をいただいておりますが(一覧はこちら)、11月まで非公開にしておくのももったいないため、少しづつ、このHPでもご紹介したいと思います。まだ作成中の先輩方は、参考にしていただけると幸いです。

今回は、井上先輩(平成6年卒)が、今年の3月に、学生の台湾遠征に同行された際の様子を綴ってくださったものをご紹介します。実際の記念誌には、学生さんの書いてくれた文章と共に掲載予定です。

なお、高内先輩(平成18年卒)も、学生時代の台湾遠征について書いてくださいましたが、こちらは超長文の爆笑原稿に仕上がっています。
記念誌で発表しますので、心当たりのある先輩は、お楽しみに。

「台湾遠征について、俺も書きたい!」という先輩は、是非、ご連絡ください。

<メールでの連絡はこちら・携帯可>
chuo_kendo@infoseek.jp 高槻宛(平成元年卒)
__________________________________

平成20年 剣道部台湾遠征に同行して   井上圭二(平成6年卒)

taiwan1.JPG

 3月5日夜10時、松山発、福岡・小倉行きフェリーに乗った。
 目指すは『台湾』、しかも福岡経由の長い旅のはじまりである。

 1ヶ月程前、同期の山下忠典から「台湾行けへんか?」という連絡があった。
よくよく聞いてみると、山下が声掛けした長崎の白石政雄先輩曰く「山下が行くなら…」 当の山下曰く「圭二(私)が行くなら…」と…。なんか、ややこしいけど、要は、私が行けば3人参加、行かなければ3人とも不参加となるらしい。
家のローンや車検で悩んでいたので、恐る恐る嫁さんに相談したところ、
「数少ない仲間なんやから、思いっきり楽しんでおいで!」
とありがたいお言葉をご頂戴賜り、台湾行きが即決された。

 ・・・とはいえ、、、、、

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100周年の式典に向けて、
先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介していきます。

今回は、平成2年の5月に新人戦で優勝したときの写真です。そう、この年までは新人戦は5月に開催されていました(今は全日本の後なので、秋、というか、冬)。
なぜか道場にこの優勝時の記念写真がなく、これは貴重な1枚となります。

H2.JPG

  後ろ 2人  井上(1年) 北原(2年)
  中段 4人  馬渡(1年) 竹本(2年) 山口(2年) 尾原(2年)
  前段 3人  白石(2年) 佐村(2年) 山下(1年)

これから2ヵ月後、7月の関東学生選手権で、この写真に写っている山下忠典先輩が優勝。その後も、二年次、四年次で優勝し、在学中、三回も関東を制したのでした。
(ちなみに唯一優勝を逃した三年時に、全日本個人で優勝されました)

随所為主

随所為主 -所に随って、主と為る-
 どんな苦しい逆境に遭っても何とかそれを打開して常に優位に立つ、
 それには不断の心身の鍛錬をしなければならない
 (出所:平成元年九月発行 『斌徳』 第四号 掲載の、故高木部長挨拶文より)

4月5日に津村部長にお会いした時に、
20年前の全日本優勝の後で、故高木部長が「随所為主」という言葉を書いた、というお話をお伺いしました。うなずきながら聞いていたわたしですが、実はすっかり忘れていて、『あれ、どこに書いたんだろ』と思っているうちに、次の話題に移りました。

その後、岡山の実家に帰省する機会があり、玄関を入ってふと見ると、
な、な、なんと、「随所為主」の色紙が! 思わず撮影。

200804121034001.jpg

平成元年の、我々の代のひとりひとりに、故高木部長が書いてくださった色紙でした。
どうやら母がこの20年間大切にしていたようです。大きなクリアファイルに入れておいたお蔭か、変色もせず、20年前のあの時のまま。そうそう、最後の送別会か何かでいただいたような記憶も(いまさら感激)。
それにしてもわたしったら、20年間、まったく気が付かないとはね…(呆)
津村部長に見せようと、持ち帰ろうとしたのですが、母が「家宝だから」と言って、持ち出しを許可してくれませんでした。

それからしばらくして20年前の「斌徳」を何気なく見ていると、また「随所為主」が目に飛び込んできました。それが冒頭に書いた、故高木部長の挨拶文の中の言葉です。これはもちろん、いまや一部で伝説となった「奇跡の連続二本勝ち」 を示しての言葉ですが、当時は意味がよく分からなかったような、いや、きっと、分かったようなフリをして色紙を受け取ってのでしょう。

高木先生。
わたしも、社会人になって20年経ちました。
そして、やっと、この言葉の意味が分かるような齢になったような、気がします。
そのタイミングで、いろんな偶然が重なって、この言葉に再開することができたのは、高木先生のお引き合わせでしょうか。
これからは、この言葉を胸に刻んで、心身の鍛錬に努めます。

<補足>
「随所為主」は、20年前の優勝祝勝会で配布された手ぬぐいにも書かれています。
お手元にお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
記念誌では、今までの手ぬぐいの写真も掲載予定です。どうぞお楽しみに。

4月20日(日)に開催された日中明三大学定期戦で、中大が大勝したと聞き
(詳細は、剣道部のHPに掲載予定です。少々お待ち下さい)
なにか、日中明の記録がないかな…と探してみたら、ありました。

2006年の夏に、金子政明先輩(昭和18年卒)よりお借りした写真です。
金子先輩の記憶によると、昭和18年秋。12月の学徒出陣を控えた最後の試合。
二列目は当日の審判団と来賓の先生方で、左から5人目が故北島辰二師範。
後ろから二列目の右から7人目は、故須郷智先生。
この時も、中大の大勝だったそうで、金子先輩は前列左から2人目↓
S18fall.JPG

なお、角栄次郎先輩(昭和19年卒)にお借りした翌昭和19年の4月の写真
かあります。角先輩は前列右から2人目↓
S18.12.bmp

金子先輩から、この時代を振り返っての寄稿をいただいておりますので、
ここで紹介させていただきます。これらの写真の先輩の何名かは、
二度と中大の門をくぐることはありませんでした。
もう一度中大で剣道をしたいと願いつつ、願い叶わなかった先輩がいたこと、
そしてこの時代の先輩方がいて下さったからこそ、今の剣道部があるのだと
いうことを、忘れないようにしたいと思います。
________________________________

金子政明(昭和18年9月専門部法学科卒業) 

専門部剣士列伝余禄

太平洋戦争が勃発した昭和16年から17年そして18年の学徒出陣を
経て19年に至る当時の鮮明な記憶の抜粋である。

昭和16年度は鈴木英太郎先輩四段。
生まれは東京市本所石原町、出身校は全国に名声を馳せた巣鴨商業
出身で主将
90K余の体躯で身のこなし、剣捌きは抜群 試合巧者で俊才、輝かしい
剣暦の武者も学部在学中に志半ばで病死、黄泉(こうせん)の剣客となった。

昭和17年度は菊池信弘先輩四段で主将
茨城県染和田村出身、村長の息子
水戸の東武館で修行した逸材、流派は北辰一刀流、独特の茨木訛(なまり)、
気風(きっぷ)のよさ斗酒なお辞せず飄飄とした風貌、後輩の面倒をよく
みた先輩である。

昭和18年度松重祥治先輩四段で主将
山口県立柳井中学出身 国鉄の機関士の息子 性格は豪放磊落
名は体を表わし祥は吉祥 治は、なおしおさめる、快男子
学徒出陣で海軍航空隊に入隊、終戦時は海軍中尉、鹿児島県鹿屋の
特攻基地で沖縄出撃寸前であったとの風聞、
その後消息不明。

昭和19年は角栄次郎先輩で主将
人物評を述べるに当って筆者の独断と浅見であるが副将の二人に触れ
なければ意義がないと思う。

副将は鹿児島県都城出身で若松信夫
(註)剣友会会員名簿に掲載の昭和56年卒の愛媛県伊予郡双海町
出身の若松信夫先輩とは同姓同名であるが別人であると思う。

他の一人は、千葉商業出身 小柴勲

この三人は俗称三羽烏、三者三様の太刀捌き甲たり難く乙たり難し、
何れ劣らぬ美男剣士。テレビのない時代であったが若松信夫先輩、
小柴勲先輩も映画スターか、タレントにしたい好男子である。
三人にふさわしい当時の俗謡がある。

 腰の軍刀にすがりつき
 つれてゆきやんせ戦場え
 つれてゆくのはやすけれど
 女は乗せない戦闘機
 女乗せない戦闘機なら
 みどりの黒髪切りおとし
 軍服姿に身をやつし
 ついていきますどこまでも

筆者は 三人と地下の道場で稽古に明け暮れたことが
半世紀をすぎた今日でも 忘れられない青春の想い出として 
消え去ることはない。

(2006年7月記) 

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戦前の風呂場にて

4月5日(土)。寮バスの上にも花びらが舞い降りる、絶好の花見日和。

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3年前の同じ時期、津村部長のお見舞いのために、同期で大学に集合したことを思い出します。部長に会う前の、あの時の桜は、私たちの目にはあまりきれいには写りませんでした。しかし今日の桜は最高の桜、忘れられない桜となりました。
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この日、平成元年卒業組の依頼により「津村部長とこの20年を語る」というテーマで座談会を開催することができました。
幸運にも、この日、出稽古に来場されていた金田先輩(昭和61年卒)と中山先輩(昭和62年卒:トヨタ自動車)、そして北原監督、上村助監督にもご同席いただき、過去4回の全日本優勝経験者が揃うという好機に、南平の「すし政」で長時間のロングインタビューとなりました。

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20年経って初めてできる話も多く、最初から最後まで大爆笑の連続となりました。
故中倉師範と故高木部長の思い出話、
合宿地の変遷理由、
20年前の、曾根・千葉の奇跡の連続二本勝ち (スコアはこちら)
寮での
「コテコテコテコテ~~~ッ 俺の小手だぁ~~っ!」(by K)
「どっちの小手でもええやろ! 廊下でやるなぁ~うるさい(怒)!」(by M.Nakayama)
…騒動など、楽しいながらも、時々しんみりとするひとときとなりました。

中大剣道部で良かった。

今日の、この会が、自分の20年を振り返るきっかけにもなりました。
中山先輩に「おばさん」と言われてガックリでしたが(議事録からは削除)、
「おばさん」もかけがえのない4年間に感謝する気持ちを新たにした、一日でした。

なおこの座談会の様子は100周年の記念誌で紹介されます。

参加者:津村部長、金田先輩、中山先輩
     尾方、渡辺、鷹巣、西川、高槻(平成元年組 5名)
ゲスト:北原監督、上村助監督

100周年の式典に向けて、
先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介していきます。

今回は、優勝シリーズ第三弾。
昭和63年の優勝の四年後、平成4年(1992年)10月11日(日)、三連覇を狙っていた筑波大学を破り、全日本で11回目の優勝となった直後の一枚をご紹介します。
故中倉師範、故高木部長、津村部長(当時監督)、北原監督(当時2年)の4名がそろった写真です。

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前列左から中尾先輩(63年卒・当時コーチ)、川村先輩(52年卒・当時コーチ)、
轟木先輩(48年卒・当時助監督)、故中倉師範、故高木部長、浅田先輩(1年)、
北原監督(2年)
後列左から井上先輩(3年)、山口先輩(4年・主務)、深川先輩(2年)、
馬渡先輩(3年)、白石先輩(4年)、山下先輩(3年)、津村部長(当時監督)、
北原先輩(4年・主将)、尾原先輩(4年・副主将)

故中倉師範と故高木部長(当時、中央大学総長)の笑顔が印象的です。
奇しくも中倉師範は平成12年2月9日に、高木部長は翌10日に、急逝されました。

(昨年開催された、故中倉清師範の7年祭追悼稽古会並びに偲ぶ会の様子はこちら)

なお、林信雄先輩(40年卒)と土田剛規先輩(53年卒)が故中倉師範の思い出を、萬歳憲重先輩(44年卒)が故高木部長の思い出を、記念誌の原稿に綴ってくださいました。記念誌で発表させていただきますので、どうぞお楽しみに。
また、故中倉師範や故高木部長との思い出をお持ちの先輩で、記念誌に文章をお寄せいただける先輩がいらっしゃたら、ぜひ、ご連絡ください。

なお、このページを制作するにあたり、山下忠典先輩(平成6年卒)にご協力いただきました。山下先輩はまた、この時の優勝について、記念誌の原稿で綴ってくださいました。こちらもどうぞお楽しみに。

100周年の式典に向けて、
先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介していきます。

今回は、九鬼温臣先輩(昭和49年卒)よりご提供いただいた同期の写真です。
hokuriku.jpg

左から当時3年生だった山本重樹先輩、村山良秀先輩、横川博先輩、
九鬼温臣先輩、加藤尚二先輩、納屋智巳先輩、そして津村部長(現在)。
今から36年前の昭和47年(1972年)のこと、場所は、福井駅前。
季節は、夏のようですね。

このような写真を記念誌に掲載すべく、また同期のページを制作すべく
写真や原稿を募集しております。是非、ご連絡ください。お待ちしております。

なお、このページを制作するにあたり、生地先輩(昭和52年卒)と佐村先輩(平成5年卒)にご協力いただきました。ありがとうございます。

100周年の式典に向けて、現在【記念誌】を制作中です。

このHPでご紹介する写真は【記念誌】に掲載されるものの一部に過ぎません。

また「同期のページ」というものがあり、同期の皆さんの写真と文章で構成されます。
このHPを読んで、ひとりでも多くの先輩から「同期のページ」用の写真や文章をご提供いただけますよう、願っております。

「同期のページ」用の写真や文章に関してのお問い合わせはこちらまで

「同期のページ」の文章の一例として、平成6年卒の井上圭二先輩が書いてくださったものを紹介します。井上先輩は愛媛の新田高校出身で、平成2年卒の井上隆二先輩の弟。この原稿は一昨年の10月に書いてくださいました。この爆笑原稿を記念誌発行まで保留しておくのはあまりにも惜しく、全文を紹介させていただきます。

なお【記念誌】にはこのような名文・迷文・珍文(おっと失礼)が沢山掲載されます。

先輩方にお願いしております寄附金(一口2万円)にご協力いただけると、11月1日の式典は無料でご参加いただけ、また【記念誌】も贈呈いたしますので、まだ寄附金にご協力いただいていない先輩は、是非、ご協力ください。

寄附金の振込先・振込用紙の送付依頼、その他、お問い合わせはこちらまで

なお「同期のページ」の文章量は年代によって違いますので、井上先輩を基準にしていただく必要はございません。短文でも大歓迎ですので、是非、お寄せください

__________________________________

 4年間を振り返る(平成6年卒 井上圭二) 

 大人への一歩手前、4年間という貴重な時間を過ごした我が剣道部が、今回大きな節目を迎えた。軽い気持ちで執筆依頼を受けた私ではあるが、いざ書こうとすると同期生の顔が次々と現れ、好き勝手なことを言っている。しかし、正直なところ、一人一人の行動を記憶しているわけではないので、そこは適当にかい摘んで紹介できればと思っている。大げさな表現も多々あると思うが、お許しをいただきたい。

 さて、何から書こうかといきなり悩んでいるが、とりあえず、剣道の都合、頭脳の都合など様々な都合が重なり合って、平成2年春、我々同期生は、たまたま18名で形成された。そして、同期生を兄弟に例えたとき、長男である主将は、インターハイを制し鼻息荒く参上した山下忠典であり、大学タイトルをも総なめにした、あの京都の名店「ふみ坊」の三男である。
 当然、彼は中大の看板であり、同期生の我々にとっても誇りであるが、

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100周年の式典に向けて、
先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介していきます。

今回は、九鬼温臣先輩(昭和49年卒)よりご提供いただいた写真です。
昭和46年(1971年)の夏、高野山合宿での一シーンです。

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後ろ左から、部旗(?)を持った津村監督(当時)、故高木部長、
澤近先輩(4年)、佐々木了三先輩(3年)
前左から九鬼先輩(2年)、小林先輩(1年?)、木戸達爾先輩(1年) 

これは、団体戦をするためにチームを組んだ時の写真で、
木戸先輩がお持ちのチームの旗には「剣go」(…つまり剣豪か?)と書かれています。
各チームで写真撮影をしたそうですが、他チームの先輩方、この時の写真をお持ちではないでしょうか? この合宿でのエピソードなど、是非、お寄せください。

このような写真を記念誌に掲載すべく、また同期のページを制作すべく
写真や原稿を募集しております。是非、ご連絡ください。お待ちしております。

なお、このページを制作するにあたり、澤近先輩(昭和47年卒)と佐村先輩(平成5年卒)にご協力いただきました。ありがとうございます。

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  149. 2008年1月 [4]
  150. 2007年12月 [5]
  151. 2007年11月 [1]
  152. 2007年10月 [2]
  153. 2007年9月 [2]
  154. 2007年8月 [1]
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  157. 2007年2月 [1]
  158. 2006年7月 [1]
  159. 2006年6月 [1]
  160. 2004年10月 [1]
  161. 2004年9月 [2]
  162. 2003年12月 [3]