いよいよ今週末は、全日本学生選手権が大阪で開催されます。
今から23年前、同じく大阪で、中山睦友先輩(当時3年生)が優勝しました。
記念誌用にいただいた原稿ですが、今年出場する4名の学生の健闘を祈り
ここで紹介させていただきます。
全日本学生選手権優勝を振り返って 中山睦友(昭和62年卒)
たまたま、全日本学生選手権で優勝という経験をさせて頂きましたが、その勝利へのドラマは人それぞれなんだなと感じたのが、この個人戦でした。
1985年7月7日は、前日の6日から、20数年経っても忘れられない思い出が数多く残っております。高級鉄板焼きにコルドンブルーに蕁麻疹(じんましん)に、本当に大変な2日間であったと…
決戦の場は『大阪!』
この年の出場選手は御前先輩(当時4年)と私の2名だけ。応援も、吉田先輩(主務)と同期の大島先輩(副主務)の学生4名に、津村先生だけだった。車中では『優勝して東京へ優勝杯を持って帰ろう!』と話しあい、もちろん、その気持ちはあるのだが、何せ少人数で…盛り上がりは今一歩…という感があった。そんな中で、いよいよ大阪へ到着! そしてこの大会のドラマはまず食事会から始まった…
当時、大阪在住の川上先輩や花田先輩方に夕食に誘って頂き、高級鉄板料理をごっちゃんになった!
鹿児島の田舎から出て来て、初めて連れて行ってもらった高級料理屋でパフォーマンス付きのシェフのナイフ捌きをおかずに盛り上がり、緊張感どころか明日の試合も省みずに目の前で焼いてもらった肉と一杯何千円もする酒(コルドンブルー)とを交互にガバガバ飲み食いして、とても心地良い気分になってしまった(試合の前日にあんなに飲み食いしたのは剣道人生の中でこれが最初で最後である)。
学生4名は食事会が終わるとそのまま宿舎に帰り、しばらくして就寝。
そして次のドラマが始まったのである…。
床について2~3時間経っただろうか?
『痒い!痒い!』
身体に違和感を感じ目が覚めてしまい真っ暗闇の部屋でまず顔を掻きだした…
止まらない!
耐え切れず今度は身体全体を掻きだす始末で、たまらず部屋の電気を点けて
鏡を覗いた!
『…やってしもうた』
全身に蕁麻疹が噴出していた。しかし明日は試合でありこんな自分の事で迷惑を掛けたくないのでそのまま我慢しようとしたが、強度の痒みで眠れず、結局、吉田先輩達にご足労頂き真夜中にタクシーで救急病院に向かい、そこで点滴(注射)を打ってもらう羽目に!
点滴中に「なにやってんだ!全日本の試合前だぞ」と悔いても後の祭りで、処置が終わってから宿舎へとんぼ返りで帰り着いたのは2時頃だっただろうか…
翌日の体調が良い筈もない! 案の定、一回戦はバタバタであった。
最初に不用意に出た所で一本取られてしまい、後の途中の内容は覚えていない。
「もう終わりだ!」
と思った時、多分、残り30秒もなかったが、なんとか相手選手の反則で対に持ち込み、長い延長戦を乗り切って2回戦に駒を進める事ができたのだ・・・
1回勝てたといっても、汗ビッショリで喉もカラカラであり、以降は大島先輩に毎回、水分補給を手伝ってもらって駒を進めていった。そんな状況で次の相手を考える余裕もなく、しかし逆に一戦、一戦に集中することができ、調子も上がり、いつの間にか準決勝戦!
準決勝は大阪体育大の平野選手(4年)で、先輩であったが何も考えず戦えたのが良かったのか、合い面で決勝進出を果たす事ができた。決勝は国士舘大の宮本選手で、高校時代から良く知っており、一本勝負と決めて胸を借りるつもりで戦った事を記憶しております。
そして、この勝負も運を味方にすることができ、優勝!!!!
試合終了後に何をすれば良いのか分からず、無作法にも面を着けたままで津村先生の所へお礼に行った事を記憶しています。
今、振り返ってみると、一回戦でのバタバタと、平野さんへの合い面、そして決勝での諸手突きと抜き面。この3試合で、前日の不甲斐なさを挽回できたと、そして、一回戦で勝ちを拾ったことで、後の試合に集中でき、結果として優勝することができたと思います。
その夜は、先輩方に法華倶楽部で祝賀会を催していただき、翌日は大阪の毎日新聞社へ挨拶に伺い、東京へ帰ってきたら道場でビール掛けまでしてもらい、本当に貴重な経験でした。
皆さんにお世話になった事を感謝し、この優勝の思い出とさせて頂きます。
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