昨年発行した、
設立100周年記念誌、なんと20年ぶりの発行となった「斌徳」(フトク)、
隅から隅まで読んでいただけたでしょうか。
(まだお手元になく、希望される先輩は、ご連絡ください → chuo_kendo@infoseek.jp)
先輩方から沢山の写真をお借りしましたが、すべてを掲載することはできません
でした。そこで、諸事情により掲載できなかった写真をここでご紹介します。
今回は、昭和天皇の病状悪化で列島が自粛ムードにあった昭和63年。
剣道部の80周年の式典も、「自粛」のため、翌年に延期となりました。
そんな地味で目立たない年に、実は団体三冠を獲り、日中明・法中と併せて
五冠を達成したことが、80周年の記念誌「斌徳」に記録されています。
この年の全日本優勝後、故高木先生は「随所為主」の言葉を選ばれました。
これは四冠目の、法中戦。10月8日のことでした。
場所は中大剣道場。古い、木の名札が見えます。
昨年、先輩方の寄附金によって、新しい名札に差し替わりました。
後ろで椅子に座って高井田(4年)の試合を見つめているのは
上西助監督(当時・45卒)ですね。
この日の副将戦、神田(4年)vs若尾(法政)。
なお、この日の先々鋒と次鋒は、21年後の今年8月、大阪で再会しました。
あの頃、まだ少年だった米田君は、東西対抗にも選出される中堅剣士となり
また、母校九州学院を率いてインターハイで優勝するような、立派な指導者
になっていました。
次の再会を楽しみにしています。
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9月13日(日) 第55回全日本東西対抗剣道大会組み合わせ(抜粋)
西軍 東軍
27将 米田敏郎・熊本(H4年卒) - 鍋山隆弘・茨城(筑波大学OB)