1月某日、61年卒の同期会にお邪魔しました。
↑法政の堀口先輩がゲスト参加
堀口先輩は高槻の顔を覚えていました・・・
今から四半世紀前、
女子の試合の入場行進で吉田先輩(右列中央)が始末書を書く羽目になった
その現場を見てました・・恐るべき記憶力
詳細は一昨年発行の記念誌別冊P99に残っています→これもすごい。
(わたしは当時から全然変わっていないという都合のいい解釈でよろしいでしょうか)
話ははるか昔、ニューヨークでのホームパーティから
日本刀、最近の防具一式の値段
四半期前の六本木合コン、法中戦後の飲み会にまで及び
日大、明治、専修大等々の諸先輩方の名前が飛び交う会となりました。
いい店も教えていただきました。
専大の先輩(中大の大槻先輩の弟君)がオーナー・バーテンダーをつとめる
銀座のBARオーパ、次の機会に是非、訪問したいと思います。
それにしても、やはり、一年の時の四年の先輩というのは
特別に懐しい気がします。
たった一年しか一緒にいなかったし、ほとんど口をきく機会もなかったのに…
(時々、稽古後に、自動販売機で70円のジュースをおごってもらったのが嬉しかった)
昭和61年3月、雪の卒業式。
先輩方はこの写真を撮ったことを忘れていらっしゃるかな?
わたしにとっては、今でも大切な一枚です。
そして今なお、声をかけていただける縁に、本当に感謝しています。
(おばさんだけど俺らにとっては後輩だからおごると言われた…複雑だ…ま、いっか)