今日、立ち読みした某剣道雑誌に、この写真を見つけました。
・・・一昨年に発行した、記念誌別冊で紹介した写真ですね。
カラーだと雰囲気が違いますので再掲載しました。
昭和53年の北海道札幌市の夏合宿でのワンシーンです。
過去の夏合宿の地一覧はこちら
この写真から32年後の今年は、12回目の北海道合宿です。
その雑誌に掲載された津村師範の言葉を読み進んでいくうちに
今年は故中倉先生の生誕100年であることを知りました。
そっか、そういう年だったのか!
過去の「斌徳」を探し、先生の思い出を近日中に掲載したいと思います。
中央大学 剣友会 関西支部 総会のご案内
京都大会に併せて開催する関西支部総会並びに懇親会を
第19回関西学連剣友剣道大会優勝祝賀会を兼ねて
下記のとおり開催いたします。
昨年12月の第19回関西学連剣友剣道大会優勝(成年の部・熟年の部共)記事
日時 平成22年 5月3日 (月・祝日)
総会17:30~ 懇親会18:00~
場所 百年豆腐 とうりん 京都岡崎店 地図はこちら
昨年の様子はこちら。おなじく「とうりん」にて
一昨年の様子はこちら。懐かしいですね。
関西のOBには既に連絡が入っているかと思いますが
今年卒業する新OBの中で、4月以降関西地区に居住する先輩も
ぜひぜひ、ご参加ください。
※今年の京都大会のスケジュールはこちら。
第106回 全日本剣道演武大会期間中における
武徳殿および京都市武道センターの使用状況(予定)
全日本剣道連盟のホームページにリンク。PDFが開きます
2020年4月16日、立浪部屋へのリンクURLを修正しました。立浪部屋の方へ。故高木友之助先生の写真を残していただいてありがとうございました。
2022年6月7日、立浪部屋のホームページがリニューアルされましたので、リンクを削除しました。
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ボツ写真特集...ではなく、
これは100周年記念誌(2008年発行)に掲載された写真です。
7回目の全日本優勝を飾った、昭和53年10月22日の記念写真。しかし...
(写真提供:剣道時代)
↑これです、これ。
この時の優勝を記録した写真がなぜかほとんど発掘できず
これも雑誌社のご厚意により提供いただいたものです。
写真の先輩方、今も面影があるのでお分かりかと思いますが...
第26回優勝メンバー
渡部憲雄、遠藤寛弘、西郷哲哉、小松寛、禰宜田昌彦(四年)
清水新二、木下俊一(三年)、福崎基夫(二年)、穂園元孝(一年) (敬称略)
なお、この優勝を記念して、故高木部長書による
かの有名な「木鶏」(ぼっけい)の面タオルが作成されました。
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木鶏に似たり 荘子(達生篇)
見たところ、木でつくった鶏のようだ。
敵意をもたないものに対しては、これに反抗する敵はない。
無心で他に対することが、万事を処理し、困難に打ち勝つ最上の方法で
あることのたとえ。
紀省子という男が王のために闘鶏を育てていた。
闘鶏を訓練し始めて十日ののち、王が紀省子にもうだいじょうぶか、ときいた。
紀省子は、まだ鶏は虚勢をはっているからだめだ、という。
また十日してきくと、まだ相手の動きに心を動かすところがあるからだめだ、という。
さらに十日たってきくと、もうよろしいでしょう、と答えた。
そのときの闘鶏のようすが、ちょうど木鶏のようであった。
これを見てどんな相手でもこれと闘う気力を失い、逃げ出してしまった、
というのである。
斌徳第三号(昭和54年発行)より
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横綱の双葉山が69連勝の後に破れたとき
「未だ木鶏たりえず」と打電したというのは伝説的に語られているそうです。
そうか、この言葉、故高木部長にとっては特別な言葉だったのですね。