関西総会で、河村先輩(38卒)にこのコピー用紙をいただきました。
少し前にこのホームページで紹介した名著「剣と禅」の中で
「酬酢の中にあり」の言葉を探してくださった(!)資料。
正確には、大森曹玄公ではなく、
大森曹玄公の師である、明治の剣聖、山田次朗吉の言葉でありました。
(高槻も「剣と禅」を買いましたがこの言葉が見つからず…あとがきにあったとは)
斬り、打つ、突く、押ゆるの時にあらずして、
却って酬酢(しゅうさく)の中にあり。
(略)
しからば武道・剣道などという、その「道」とは何であろうか。
(略)
剣術ならいざ知らず、剣道というからには、ただ道場の中で「斬り、打つ、突く、押ゆる」の剣技を闘わすときばかりでなく、主・客が相呼応し相酬酢する日常一切の生活の場において、この禅定の機を持続できなければならない。もしそうでないならば、その人は剣術使いではあっても、断じて剣道者ということはできないであろう。
かくて私はいう。剣道とは、自己を真実の人間として形成する心身学道である、と。
(大森曹玄著 「剣と禅」P258~260より抜粋)
河村先輩はご挨拶の中でもこの言葉に触れ
中大剣道部のOBであるならば、剣道の「道」を究めてほしいという
重い言葉をいただきました。
この言葉の持つ意味の深さに、もう一度気が付く機会を与えていただき
また、某大先生に教えていただいたこの言葉をこのようにご紹介いただけた
ことに、ホームページ制作者として深く感謝しております。
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