※川口先輩(63卒)からご連絡をいただきました。
63卒の、卒業後初の「同期会」が7月16日(土)~17日(日)に
山梨県は石和温泉で開催され、川口先輩が情報を提供してくださいました。
つい先日休刊してしまった情報誌「ぴあ」の全盛期と重なるこの世代は
決勝まで進んで、相手が国士館だったら絶対に負けないという雰囲気があり
・・・いや、雰囲気ではなく、事実としてそうでした。
1985年と86年だけで
決勝で国士館を破って優勝したことが、団体4回、個人1回。
世の中では「おニャン子くらぶ」がブームとなり、チェルノプイリ原発事故が
起こった年。高槻は発売されたばかりの「写るんです」を手にして、いろんな
優勝シーンを撮影していました。
(20年後の記念誌「斌徳」で日の目を見ることになった次第です)
小代先輩、宮崎県から駆け付けたんですね!
城田先輩、この日もエールをされたんでしょうか。
廣澤先輩が故下田先輩の写真を手にしています。
・・・この代の先輩は、四半世紀前と、全然変わっていません。このとおり。
中尾先輩は、記念誌「斌徳」で、同期のことをこのように記されています。
(略)
とにかく、我々は仲が良かった。思い出探しのために、過去の写真等を振りかえるといつも同期で行動していた。そして笑顔が満ちあふれている写真ばかりだった。
箱根、北海道、九州、スキー。
セレクション生、寮外生関係なしに互いの良いところを認め合い、そして助け合っていたと思う。そして卒業した今もそれは変わらない。この仲間を誇りにおもう。たった4年間ではあるが、同じ目的を持ち、そして同じ方向を向き、悔しさ、苦しみを味わいながらも決して諦めることなく戦い続けた、いわゆる同じ釜の飯を食った仲間は、一生の仲間であると今あらためて感じる。
この伝統の中大剣道部に入部できたこと、この同期とめぐりあえたこと、それが私の副主将としての一生の思い出であり宝です。
(略)