1983(昭和58)年11月に開業した「そごう八王子店」が
2012年1月31日に閉店しました。
「そごうバイト」という単語が、高槻の在学中は、ありました。
昨年の「ハルピン閉店」に続いて、ひとつの時代が終わったかのような
寂しい感があります。
> 2011年2月期の売上高はピークの1992年2月期に比べて
> 半分以下の224億円に落ち込んでいた
ということは、ピークは平成3年~5年卒頃のOBの時代ですね。
そもそも、八王子には「伊勢丹」(1979年閉店)も「大丸」(1985年閉店)も「西武」(1993年閉店)も「丸井」(2004年閉店)もあったと聞けば、平成年代に生まれた今の学生は、驚くかもしれません。
「そごうバイト」で思い出すのは真冬の倉庫。
確か駅前からバスに乗って物流センターへ行きました。そこでお昼のお弁当をいただけるのが、貧乏学生だったワタシはとにかく嬉しかった。そして、肝心の仕事の内容をほとんど思い出せないのが、笑える。
その後、八王子そごう地下のケーキ屋さんでバイトさせていただくことになり、クリスマスも大晦日も正月もバレンタインも(そうだ、ちょうど今の時機だ!)、人が幸せな時はいつも、ケーキを売り続けました。
そのお店の看板ワッフル。約20年ぶりに食べたら、懐かしい味でした。
残業を嫌がることもなくひたすら真面目に働いたので、けっこう、重宝がられていたような(当時の店長さんがこれを読んだら、笑うかな)。
時々、無料でいただけるケーキが嬉しかった。でもあれは、お客様にケーキを説明するのにかなり役立って、生クリームとバタークリームの日持ちの違いとか、勉強させていただきました。
注)これを書くために調べて驚いた。今、バタークリームのケーキって、ないかも。
商品にクレームを付ける人を初めて見たのが「そごう」。
無駄な残業をしたら会社に迷惑がかかると知ったのも「そごう」。
大晦日、紅白の時間に従業員が打ち上げをしていた「そごう」。
夜の仕事でなくてもお客さんが指名してくれると気が付いた「そごう」。
いろんなことを教えてくれた「八王子そごう」がなくなり、本当に、残念です。
そういえば卒業後、「そごうバイト」がなくなったという話を聞いた記憶がありますが
今は集団バイトってあるんですかね。知っている限り、剣道部の集団バイトって
日本橋のデパート(どこでしたっけ)→銀座阪急→町田大丸→八王子そごう
・・・という流れではなかったでしょうか。
インターネットもECサイトもない時代、外商が担当するような一部の上得意客を除いて、お歳暮は「百貨店」に出向いて手配するもの。昭和天皇崩御前の「自粛」期間は例外として、年末の百貨店は人があふれていた記憶がありますが、その百貨店の売上高は、15年連続減。こんなところにも時代の流れを感じますが、「八王子そごう」までなくなってしまうなんて、寂しい限りです。
2012年初春のある夜、新宿で、平成元年卒の同期会を開催しました。
昨年の10月に会ったばかり、なのですが その時の記事はこちら
今回は、前回おおまかに決めた6月の同期会について、さらに具体的に検討
するための集合となりました。
早くからスケジューリングしていたので、参加率は上々。大分の別府温泉など
新たな候補地も出ましたが、結果的には昨年の打ち合わせ通り、箱根に決定。
同期で箱根に行くのは、この時以来↓
・・・23年前のこと。卒業式までカウントダウンが始まった時期に
故高木先生、津村先生、上西先輩(当時、助監督)をお誘いして「南風荘」へ
行きました。 調べてみたら「南風荘」は健在でした。
※参加メンバー(写真右手前から順番に)
江崎、大竹、尾方、高橋、渡辺、金井、稲田、高槻、西川、高井田 と・・・
鷹巣(左) 計11名で17時から21時過ぎまで、大学時代に戻って大騒ぎ。
※電話での参加メンバー
神田、野村
※欠席
時田、千葉、大河内、阿部 → 残念でした。次の機会にぜひ。
「剣道一直線」Tシャツに注目。森田健作、健在。
次回は4月、防具もってどこかの道場へ集合。
6月はいよいよ、箱根で一泊の同期会。
その次は・・・ 還暦祝いに、愛媛の道後温泉に集合となりました。実現するといいね。
(敬称略)
先輩各位
昭和40年卒の紙田明先輩がお亡くなりになりました。
通 夜 1月11日(水)18時~
告別式 1月12日(木)9時半~
式 場 江古田斎場 地図はこちら
西武池袋線「江古田駅」北口より徒歩約2分
〒176-0004 東京都練馬区小竹町1-61-1
喪 主 紙田 登美子 様(奥様)
ご冥福をお祈りいたします。
新 年 の ご 挨 拶 - 昨年を振り返って -
中央大学剣道部 部長 眞 島 和 已
中央大学剣道部の先輩の皆さま、明けましておめでとうございます。
平素は、剣道部に対して物心両面のご支援を賜り、誠にありがとうございます。
こころから御礼申し上げます。
昨年は、私たちにとって忘れられない年となりました。
今更ながら、東日本大震災の被害の大きさを実感し、尊い命をなくされた方のご冥福を改めてお祈りするとともに、被災された方に対し、衷心よりお見舞いを申し上げます。
この震災で、私たちは人と人の「絆」を再認識いたしました。それは、「思いやり」、「助け合い」、「感謝」、「献身」が紡いだものでありました。被災地の復興活動において、世界中から多くの人々が、これらの心をもって支援活動に従事される姿が見られました。
剣道界においても同様であり、多くの剣友が同好の士を支援する活動が報道されました。
わが剣道部の学生たちも、被災地におられる先輩と先輩に指導を受けている大学の学生へ激励をもって自分たちの「心」を伝えました。
ある先輩は、被災地から進学する本学の学生に対して、宿舎の提供を申し出てくださいました。これらの行動ひとつひとつを知るたびに胸が熱くなり、感動を覚えました。
また、私自身三ヶ月後の被災地を目の当たりにし、普段当たり前だと思っている「日常」が、多くの人々の支えにより成り立ち、平穏である「日常」の有難さを痛感いたしました。
この震災がもたらした教訓を私たちは忘れてはならないと思います。
さて、昨年の剣道部は、例年より早く新入生を迎え始動しました。しかし、震災による原子力発電所事故の影響により、3月下旬には寮を一時解散、待機を余儀なくされました。大学が卒業式、入学式を中止しましたので、いつになれば普段通りの練習ができるようになるのか、不安な日々が続きました。4月に入り、新年度の授業を予定通り開始され、ようやく剣道部の活動も再スタートをいたしました。
このような波乱の幕開けでしたが、一年の戦績は、7月の全日本学生剣道選手権大会で3年の岩根佑馬君(九州学院高校)が準優勝、9月の関東学生剣道優勝大会で準優勝、10月の全日本学生剣道優勝大会で代表戦の末、準優勝と惜敗が続きました。
さらには、11月の全日本剣道選手権では、東永先輩が熱戦の末、惜しくも準優勝と、今年の本学は、準優勝の流れであることを認識せざるを得ませんでした。
しかし、先輩方の奮迅ぶりを見ていた下級生たちが、11月の関東学生剣道新人戦大会において、見事優勝を果たしてくれました。
幸運にも部長就任わずか3年で二度、日本武道館、東京武道館において、部員たちとともに校歌・応援歌を響かすことができました。これほど痛快なことはありません。
是非とも、今年は大阪府立体育館で校歌・応援歌を響き亘らせたいと思います。
いまだ復興がままならない国難ともいうべき事態の中で「日常」を取り戻し、剣道に打ち込める幸せに感謝し、「心」を失わず新しい年を邁進したいと思います。
最後になりましたが、先輩方の今年一年のご多幸とご健勝をお祈りするとともに、引き続き剣道部に対するご支援をお願い申し上げ、新年のご挨拶といたします。
今年一年、よろしくご指導のほどお願い申し上げます。
平成24年 正月