2月10日の命日を前に、高木友之助先生のお墓参りに行きました。
谷中霊園の甲1号10側。
偶然、お嬢さまにお会いして、ご挨拶させていただきました。
きっと、先生が会わせてくれたんだなぁ(涙)
故下池先輩(42卒)が全日本個人で優勝した時には
先生と一緒に応援されていたそうです。
そうだったんですか!
ワタシからは、今でもあの時代のOBが集まると
高木先生や中倉師範の思い出話になると、お伝えしました。
もう一度、高木先生と話がしたいなぁ
多くの先輩が、上京のたびにお墓参りをしていると聞いていましたが
恥ずかしながら、高槻は初めてのお墓参り。
2000年(平成12年)に逝去されてもう15年も経つというのに
初めてのお墓参りでした。
谷中にあると聞いてネットで調べ、幸いに、紹介されているサイトを発見。
【谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー】という、こちらのサイトです。
谷中霊園の甲1号10側。こちらに眠っていらっしゃいます。
命日が近いので、先にお参りされた方がいるかもしれないと
手ぶらで行き、様子見を。
お花がなかったので、それでは・・・とお花を買いに一度離れて
今度は手桶とひしゃくを借りて戻り・・・
(近くの、霊園管理所で貸してくれます)
近くに居ながら、15年も来なくてすいません、
と謝りながら、ブツブツひとりごとのように近況報告。
写真を撮りたいけど、ご家族の許可をいただかないとUPできないなぁ
と考えていたら、そこにお嬢さまがいらっしゃた・・・という奇跡。
光栄にも、一緒にお花をお供えさせていただきました。
これは「立浪弥右衛門翁碑」。
横綱双葉山横綱羽黒山大関名寄岩・・・という字が読めます。
先生の書だと、教えていただきました。
<高木友之助先生をご存じでない方のために編注>
高木友之助先生は、双葉山、羽黒山という二横綱に大関名寄岩という
「立浪三羽烏」を育てた初代立浪親方のご長男。
1966年(昭和41年)、定年退職された北島辰二先生の後任として
剣道部の部長に就任。
1990年(平成2年)、中央大学の学長に就任(1993年まで)。
中央大学の総長在任中の2000年2月10日に逝去されました。
享年76歳。このホームページの右にある「初心」は、先生の書です。
なお中倉清師範は、その前日、2月9日に満89歳で逝去されています。
*お墓への行き方
JR日暮里駅の西口から行きました。西口を出て、目の前にある階段
をあがったらすぐ、谷中霊園への入り口。
西口近くのお店ではお花も売っていますが
地図で見たら、高木先生のお墓は、南口の方が近いみたいです。
「甲1号10側」 という番地を覚えていればたどり着けます。
上記 【谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー】 サイトに感謝。
近日中に行かれる方は、この見事な梅の木が目印になるかも。
雨が降る前の曇天で、写りは良くないのですが
高木先生のお墓のすぐ近くで、梅が満開でした。
*お墓の写真の掲載にあたり、お嬢さまの許可をいただいています。
名刺をいただいたのに、今日は持ち合わせていなくて・・・
怪しいものではありません。今後ともよろしくお願いいたします。
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この記事を書くにあたり調べたところ
故人を表す「故」は、亡くなった方を示す記号ではなく
特に有名人に対してわざわざ使用するのは不自然であるため
高木先生、中倉師範、北島先生他については「故」を付けていません。
ただ下池先輩は、同期の多くがご存命であり
非常にお若くして逝去されたことをあえて強調するために
「故」を付けました。
今後とも、故人の表記方法は上記の方針とさせていただきます。
(高槻和恵)
コメント
おかげ様で高木先生のお墓の所在を知ることができました。
私の亡妻も谷中のある寺の墓地に眠ります。高木先生の墓参りが出来ることになり感謝です。ありがとう。
投稿者 高橋捷彦 : 2015年2月 9日 08:34
高橋先輩、コメントありがとうございます。
他の先輩からも同じようなご連絡をいただきました。
遅きに失した感もありましたが、安堵しました。
行って良かった、書いて良かった。
投稿者 高槻和恵 : 2015年2月 9日 21:55