10月23日(金)の、「はしま」での話題より。
それは昭和の武蔵、中倉清先生のこと。
(平成12年2月にご逝去。享年89歳)
昭和60年の高野山合宿にて
昭和61年か62年のこと。
「れいおわ」
(=礼で終わり。ご存知ですよね。今でもあると聞きました)
の後で中倉先生が誰もいない道場に車で乗り付けたらしく
道場日誌に
道場に人影なし
と書き残して去られたという逸話に、世代を超えて大爆笑。
昭和60年の台湾遠征。左から
津村先生(当時46歳頃)
高木先生(当時62歳頃)
中倉先生(当時75歳頃)
そしてそれから7~8年後に
今度はハンカチ落としをしている最中に来場され
しばらくそれを見ていらっしゃった(!)という逸話に
また大爆笑。
いや今だから笑えますが
当時の下級生は「ボーズ」が頭をよぎり
上級生も涙目だったはず。こわいなんてもんじゃ・・・(冷や汗)
しかし中倉先生は、おそらく「れいおわ」の存在にも
気が付いていらっしゃったのでしょう。
(そりゃあ、こんなこと、何回も繰り返していたら・・・)
夏合宿では楽しそうに歌謡大会の審判をされていました。
写真提供/剣道日本
そういえば先日、学生から
昔の道場日誌が、寮の押入れ奥から出てきたと聞きました。
その頃の道場日誌があれば、先生の直筆、見たいなぁ
中倉先生に稽古をつけていただいていない世代、
中倉先生を知らない世代まで一緒になって大爆笑
することができて、本当に楽しかった。
なお岩根佑馬先輩(H25卒)はこの日
高槻が卒業した翌年に自分が生まれたことに気が付き(やっと)
「しぇんぱーい、このであいはしゅごいねー」
(=先輩! この出逢いは素晴らしいですね!)
と繰り返していました。
まったくあのコときたら、大きな声で!(怒)(恥)
早く、転居届を郵便局に出すんですよ!(説教)
とにかく、楽しい会でした。
集合写真に、高槻がいないことを除いては。
Comment [1]
No.1吉田篤志(61年卒)さん
懐かしいですね。これは私が1年生の時の話ですから昭和57年~58年のはずです。道場日誌ではなく、黒板に「来場すれど、道場に人影なし」と白いチョークで書かれていたと記憶しています。最後の「し」の文字が少し長めに書かれており、(お年のせいか)文字に多少の震えが見られ、先輩方が「し」の字に怒りがこめられているに違いないぃぃぃ!とビビッておられたことを覚えています。
あのときの恐怖が蘇って来ました。。。
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