昭和37年卒の主将、原口博美先輩が
11月25日にお亡くなりになりました。
先輩のご希望でご葬儀は密葬にて行われたとのことです。
松山より帰京して訃報に接し、驚いています。
同期の天野先輩(愛媛県在住)と懇親会で再会して(7年ぶり)
故原口先輩など、37年卒の先輩方の話をしたばかりでした。
故原口先輩は、設立100周年記念誌の別冊で
同期一人ひとりについて、おもしろおかしく
時にはしんみりと、思い出を綴ってくださいました。
タイトルは「友へ」。
元主務の天野先輩のことを
マネジメント能力に優れた優秀な人物であると評され
また、津村先生との邂逅をこのように綴られています。
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それは1958年。春。
約半世紀も前の古い話である。しかし、今もその時の情景が、鮮明に脳裡に浮かぶ。
入学して初めて駿河台の湿っぽい地下道場に、防具を担いで降りて行った。
そこに当時、ラジオの漫画ドラマで全国の子供たちを熱狂させていた主人公、赤胴鈴之介そのまんまの、ド派手な防具姿の青年が立っていた。それが最初の出会いであった。
津村耕作(和歌山商高)
一年生時より、ポイントゲッターとして終始四年間、大いに活躍する。
(以下、略)
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2008年11月2日、稽古会でお会いした時は
確か退院して間もない頃だったはず・・・ですが
お元気そうで、穏やかな口調が記憶に残っています。
心よりご冥福をお祈りいたします。
*天野先輩に電話していますがなかなか通じません。
年代の近い先輩のどなたか、ご連絡いただけると幸いです。
↓
12月10日、天野先輩からお電話をいただきました。
高槻が訃報を聞いたその日に、同期から連絡があって知ったそうです。
高槻の留守電を聞いて、わざわざお電話いただきました。
ありがとうございました。