(2月9日加筆 : 写真の台湾遠征は昭和59年とご指摘~和歌山から~修正済)
高木先生と中倉師範の命日が近づいてきました。
昭和59年の台湾遠征にて。60~62卒の先輩方が写っていらっしゃいます。
高木先生は平成12年(2000年)2月10日にご逝去
中倉師範はその前日、2月9日にご逝去
毎年この時期になると、いろんなことを思い出します。
高木先生のお墓は東京都のJR日暮里駅近くにある
谷中霊園の甲1号10側。
谷中霊園をご存じないと
甲1号10側の意味が分からないかもしれません。
ここは都立霊園ですが、桜などでも有名な観光地で
下記の通り、分かりやすい地図が用意されています。
中倉清師範のお墓は存じ上げません。申し訳ありません。
<高木友之助先生と中倉清師範をご存じでない方のために>
高木友之助先生は、双葉山、羽黒山という二横綱に大関名寄岩という「立浪三羽烏」を育てた初代立浪親方のご長男。
1966年(昭和41年)、定年退職された北島辰二先生の後任として剣道部の部長に就任。1990年(平成2年)、中央大学の学長に就任(1993年まで)。中央大学の総長在任中の2000年2月10日に逝去されました。享年76歳。このホームページの右にある「初心」は、先生の書です。
中倉清師範は、1971年(昭和46年)、第2回世界剣道選手権大会日本チーム監督を務められ、一橋大学、中央大学(1977年~)、防衛医科大学校などの剣道部師範でいらっしゃいました。
津村先生の同期に、ご子息(故中倉慶彬先輩・37卒)がいらっしゃったことが縁で、中央大学の師範就任を依頼されたと聞いたことがあります。高木先生が亡くなられる前日に満89歳で逝去されました。
そろそろ、お墓の場所の問い合わせが来るだろうと思って
この記事を書きました。
大学葬の式次第を撮影させていただきました。
(全文を紹介したいのですが著作権の問題がありますので)
今はきっと、お墓にはお花がいっぱいだろうから
ワタシは少し時期をずらして伺おうかと思っています。
*津村先生のお墓の場所は、この記事をご参照ください。
↓ ↓
平成元年卒有志が月命日にお墓参りをしました
Comments [3]
No.1鷹巣真児(平成元年卒)さん
谷中と言えば、谷中道場!
漫画「ムサシの剣」の主人公の防具は
谷中道場の防具をモデルにしたそうです。
私が時々稽古に行っていたのは高校時代で
その頃は、巣鴨高校から明治大学に行った
先輩が運営してました。懐かしいです。
(同期の専大のN井は谷中界隈の出身)
No.2宇田 一美さん
御命日に久々お二人のお顔を見る機会を頂けありがとうございます。
高木先生の思い出は何と言っても寒稽古です。当時は寒く、駿河台の地下に道場はありましたが、寒稽古の期間中、休みもなく参加され私達の稽古を熱心にご覧頂きました。この時のお姿は今でも忘れられません。
中倉先生はご高齢になられても故郷鹿児島に戻られた時は必ず、鹿児島中央署の道場に立たれ後進の指導を楽しまれて居たお姿を思い出します。
お二人の思い出は亡くなられても良き思い出と共に未だに生き続けています。この機に更に感謝申し上げます。
No.3高槻(平成元年卒)さん
宇田一美先輩
ご無沙汰しております。
コメントいただいてありがとうございます。
私は学生時代は恐れ多くて中倉先生の近くにはいれませんでしたが
高木先生は幸いに講義を聴く機会も、剣道以外の話をする機会もありました。
歳を重ねた今こそ、もう一度、高木先生と話をしてみたいと思います。
いろんなことが忘れられないです。
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