トロント時間 3月5日(日)21:30
日本時間 3月6日(月)11:30
トロント最後の夜になりました(しょんぼり)。
明日の朝、ホテルまで迎えに来てくれる津村先輩(39卒)に、ジョンソンが貸してくれたこのパソコンをお渡しする時が今回の旅行の終わりであり、またある意味、始まりになります。
昨日、ホームページを見た宇治田先輩(54卒)が
前回の「斌徳(別冊)」のこのページをメールで送ってくれました。
写真の注釈にある通り、昭和50年の高野山合宿。
この写真は10年前(前回「斌徳」制作時)から知っている! ここに写っているのが42年前のジョンソン!(この写真を受け取ったときは知る由もなく、まさかトロントでそれを知るとは)
すぐにジョンソンに見せましたが、さほどの感動はなく(むしろそれを見せた他の剣道の先生たちとワタシが興奮していた)
ところが翌日、ジョンソンがこの4枚の写真のコピーを見せてくれて
高野山合宿の写真だ! ジョンソンは、まだ、持ってたんだ!
この42年間、中央大学で剣道の修業をした思い出がこれらの写真に詰まっていて、手に届くところに、そしていつもジョンソンの心の中にあったんだ!
トロント大学剣道部設立40周年記念と第30回トロント大学剣道大会を兼ねた今回の大会に、その42年前に主将だった伊藤先輩(51卒)が招待され、開会式で挨拶をされた時に(失礼ながら)伊藤先輩いいこと言うなぁと思わず目頭が熱くなりました。
あの入念な打ち合わせの時より内容が少し変わっていて
諸事情あってもっと深みのあるものに変わっていて
(詳細は帰国後にUPする動画をご覧ください)
ジョンソンが思わず涙ぐんだのは伊藤先輩のお気持ちが十二分に伝わったからに相違ありません(もちろん鎌田ジュニアの適切な訳に感謝します)。
ジョンソンが帰国後、計4回の世界大会に出場されたこと
白人として初めて世界大会個人戦ベスト8に入ったこと
この42年間、中大剣道部での思い出が宝物だったこと
故津村先生の提案でスタートした
異国の剣道大会が第30回目を迎えたこと
などなどトロントに来て初めて知ることばかりに何からどう説明していいのか、加えてこちらの剣道関係者の温かいおもてなしに恐縮するばかりで何のお礼もできず(重原商店の鮭とばを渡すのが精いっぱいで)、胸がいっぱいでホームページの更新も追い付きませんでしたが
先ほど津村守人先輩にあらかじめ「うまくホームページにまとめる自信がありません」とお断りを入れておいたので、多少の雑文乱文&更新の遅れはお許しいただけるだろうという甘い憶測を抱いて帰国の途に就きます。
津村守人先輩、羽尾先輩、鎌田先輩(芝浦工大OB)、鎌田ジュニア(青学OB)、銀杏の木村先輩(拓大OB)、ブライアン アサさん(パナソニックにお勤め)、そしてそしてジョンソン先生、本当にありがとうございました。軽い気持ちで飛んできたのに、こんなに胸いっぱいで、そしてまさか拍子木を抱えて帰国するなんて。
あ、拍子木については後日説明します。
(どこかの道場で使っていただければ幸いなのですが)
↓
故津村耕作先生が創設された
「田島剣友会」様でお使いいただけることになりました。
さぁもう寝ないと。帰らないと。
マイナス11℃を経験したんだから
絶賛繁忙期中の時差ボケなんてへっちゃらさ!(だといいが)
※伊藤先輩と湯瀬先輩はモントリオールなどでも指導をされ数日後に帰国されます。どうか無事に秋田までお戻りください。秋田はトロントより寒くないし、もう風邪の心配はないですね。んだんだ
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