偶然にも、竹刀袋の問い合わせが続きました。
(3月の佐賀合宿で見つけた、その竹刀袋)
これにより手元の在庫がなくなりました。これ以降は、ご希望数がある程度集まったところで、福田武道具さんにご相談となります。2年半ほど前に「来年から値上げになります」というご連絡をいただいたので、今までより若干、高くなります(とはいえ、数百円だと思うのですが)。
<<竹刀袋といわれても、ピンとこない方へ>>
剣道部設立100周年(創部110周年)を記念してメンタオルを制作した際に、故津村先生が選ばれた「知好楽」の言葉をお借りして、大竹先輩(平成元年卒)が発起人となり、故津村先生の許可もいただき、有志で竹刀袋を制作しました。
この写真は2013年の高壮年大会でその大竹先輩が3位入賞された時のものですが、この竹刀袋の所有者は試合で活躍して昇段審査に合格するというジンクスがあります(タカツキ調べ)。
今年の高壮年も、新鷲先輩(H9卒)が3位入賞。竹刀袋効果でしょうか。
・・・いや、実力かな。
先日の、京都や愛知での昇段審査の合格者一覧を眺めても、この竹刀袋所有者の合格率の相変わらずの高さに拍手です(受験された分母を知らないので笑 あくまでもタカツキ調べということで)。
さて、その「知好楽」という言葉について
1992年(平成4年)、妙高夏合宿(新潟)で高木先生が配布された解釈を入手しました。なんと!当時三養基高校生だった鶴先輩(H9卒)がまだ大切に手元に置いてあり、26年経っての公開となりました。先生の直筆です。
1992年(平成4年)、妙高夏合宿(新潟)に参加された先輩の中で、まだこれをお持ちの方はいらっしゃいますか?懐かしい、高木先生の字です。
文章の解説 高木友之助
これを知る者は、これを好む者にしかず、
これを好む者は、これを楽しむ者にしかず。
「論語」にある講師の言葉である。之(これ)とは学問でも、剣道でも、趣味でもよい。之をしっかり知ることが、まず第一歩である。基本である。表面だけの漠然とした知識ではなく、しっかりと認識することである。しかしこの段階に止まらず、もっと上の段階がある。それは之を好むということである。対象をよく認識すると、その良さが分ってきて、之が好きになる。その良さや、意義を発見して好きになり、それに夢中になる。好きになって、それに没頭する。打ち込むという境地である。これは立派だが、まだ不充分である。もう一つ上の境地、それが之を楽しむということである。剣道と自分が一体となる。なんの無理もなく、あるがままの自然の境地、努力とか精進とか、窮屈な状態から抜け出した境地である。そうなれば楽しくて楽しくて仕方がない。ちょうど剣道における中倉師範の境地がそれであろう。理屈を超えて自然に体が動くのである。この境地をわれわれは目指さなくてはならない。
平成四年八月三十日
妙高高原剣道部合宿に於て
・・・「知好楽」の解釈は数えきれないほどありますが、中倉師範を引き合いに出されるあたりが高木先生であり、中大らしさであります。
鶴先輩、ご提供いただいてありがとうございました。
えっ? 知好楽作の「作」は何かって?
さぁ・・・「津村耕作」の「作」を自分で付けたんぢゃないかという説もありますが、真偽のほどは。いずれにしても、論語は「知好楽」、中大は「知好楽作」ということで、いいのではないでしょうか。