12月8日の創部125周年記念式典に参加できなかった先輩も多くいらっしゃいますので、当日の様子をご紹介します。
今回は、ひとりひとりに名札が用意されていました。
左が今回、右が10年前の名札
10年前の名札は当時の実行委員が集まって作った記憶あり。
今回は、事前にホームページでもお知らせしてありましたが、石塚先輩(H13卒)がひとつひとつ、手作りしてくれたもので、自分で勤務先など自由に書けるようになっていて、学生にも同等のものが用意されました。
裏には、110年前と125年前の出来事が書いてあります。
おや? 創部125周年・・・ではなく創立125周年になっていますが
まぁまぁ、それもまた、思い出のひとつ。あと10年この話題で笑えるし(もう間違えないだろう)。
前夜は遅い時間まで名刺を作ってくれて、当日の早朝も寮に立ち寄って荷物を受け取ってくれた石塚先輩です。ありがとうございました。
式典の合間に撮影した写真です。
乾杯の発声はこの日の最年長(82歳)、成松先輩
乾杯に備える参加者たち
宮本兄先輩(H26卒)に、警察官大会で上から観ているよ、と言ったら「知ってます」とのこと。
いつか、優勝メンバーとして紹介できるといいのですが。
そんな宮本兄先輩に業務連絡です。
入金確認できました。当日は大変失礼しました。
そうそう、1年生と2年生は名札の紐が赤色で
アルコールNGの目印でした。
このシステムは良かったですね(笑) 分かりやすくて、イマドキで。
私も次回から、赤の紐をください。
中編と後編に続きます。
【裏・斌徳シリーズ】第二弾。
中四国OB戦に続いて、東海OB戦について中山睦友先輩(62卒)に原稿をいただきました。なお原稿をいただいたのは今年の東海OB戦の前でしたが、ご紹介が遅れたので、12月のエピソードは後日、加筆となりました。
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中央大学剣友会愛知支部 中山睦友(62卒)
現在、私が東海OB戦に求めるモノは勝敗ではなく、多くの同窓生の皆さんと縁を持つ事である。
中央大学は東海OB戦の第一回大会から出場している。そのキッカケは、当時の記憶が定かでないが、故青山先輩(40卒)や安ヶ平先輩(45卒)の鶴の一言だったと思う! 第一回大会では、青山監督を筆頭に安ヶ平(45卒)、轟木利治(57卒)、穂園(57卒)、大河内(58卒)、中山(62卒)という、二人の警察官と実業団選手の混合チームで挑み、順調に決勝まで勝ち進んだ。決勝戦は勿論の如く中京大学であり、試合前に先輩方が『さすがにご当地(東海)で中大の初回大会優勝は如何なものか?』とささやいた言葉を覚えている。手を抜く事なく戦った結果は実力負けの準優勝!
しかし、初回大会に中央大学の名を刻む事ができた。当時、卒業して6年。普段、先輩方との会話は挨拶程度だったが、同じチームで戦う事で多くのモノを得る事ができた、この大会に感謝したものである。
それ以来、毎年の様に出場させて貰ったが、成績でピークを迎えたのが第5回からの3大会。メンバーは生地(52卒)、轟木(57卒)、穂園(57卒)、大河内(58卒)、中山(62卒)、佐村(H5卒)、小栗(H11卒)。
三位、優勝、優勝と第6回、7回大会を連覇したが、実は各試合の勝敗は私の現役時代の様に薄氷を踏む様な戦いで、代表戦を含む、その殆どが僅差での勝利であった。
そしてその翌年に優勝杯を返し、その後の試合を欠場した事を境に東海OB戦出場の機会を絶ってしまった。
それから15年が経ち第23回大会で復活する事になったが、このキッカケは、たまたま名古屋勤務となっていた竹田先輩(H6卒)(編注:2018年12月現在も名古屋勤務)と、中大剣友会の広報、高槻先輩(H元卒)の連携プレーと考えている。
(2017年の全日本女子で、竹田夫人撮影)
竹田先輩が監督として大会冊子の『栄光の記録』に名前を残したい下心(笑)に高槻先輩のプッシュが功を奏し、久しぶりの出場が実現。これも縁。・・・なお竹田監督、未だその夢(=『栄光の軌跡』に名前を残したい)叶わず。
平成最後の年は二大会に出場した(2月12日と12月15日)が、両大会ともハプニング続きとなった。
まず2月は羽田野先輩(H17卒)が風邪でダウン、前夜に連絡を受けた楢崎先輩(H14卒)が急きょ道場に防具を取りに行き、遠路遥々、早朝より、新幹線で静岡の地から名古屋へ来てくれた。
この時は石川(H26卒)、福間(H24卒)、楢崎が勝負し、玉田(H21卒)、中山が引き分け要員として挑んだが、玉田先輩も勝ち補ってくれたりで良い連携であった。帰りに一杯会で良い同窓会ができ、東京に帰省していた牧ノ瀬先輩(H4卒)も駆け付けてくれて
これがOB戦の良いところなのだろうと改めて感じた。
12月は、今度は福間先輩が前夜に体調不良でリタイヤ。監督兼補欠だった玉田先輩は、実家(徳島)に防具を送っていたために手ぶらでの来場となり、高槻先輩にカツを入れられる羽目となった。しかし4人での出場ながら初出場の兵藤(H30卒)、澁谷(H25卒)、羽田野(H17卒)の活躍により一勝をあげることができて、それはそれで、楽しかった。
初回大会で先鋒を努めていた私も今では大将(いや本来はシニアチーム)。最初に書いた通り、OB戦は支部を盛り上げる、ひとつのアイテムであり、要請があれば出場して先輩後輩と新たな縁(出会い)に繋げたいと思っている。この繋がりを絶やさない為にも東海地区に居る剣道部OBの皆さんには是非、集まって頂きたい! そしていつかはまた勝負にこだわって、全国大会で更に縁を求めたいと思う。
お手元に、2019年2月2日の優勝祝賀会のご案内が往復はがきで届いているはずです。
※届いていない先輩は、大変恐縮ですが住所相違等の事情によるものと思われますので、参加される場合は1月15日までに剣友会までご連絡ください。
「記念品代」という言葉がありますが、これは、全日本優勝メンバー9名への記念品を指しております。記念品の詳細は未定です。ご協力をいただけますと幸いです。
年末のお忙しいところ大変恐縮ですが、お手元の往復はがきをご確認ください。どうぞよろしくお願いいたします。
<2019年1月16日 一部、訂正加筆します>
お振込みいただいた「記念品代」は、全日本優勝メンバー9名への記念品代に充当させていただきます。また、「記念品代」をお振込みいただき、当日欠席された先輩には、当日参加される先輩にお渡しするのと同じ記念品を、送付予定です。
初稽古は1月13日(日)です。
午前10時~稽古開始(9時半集合)
毎年のことですが、稽古終了後、13時から大学近くの「寿司安」にて新年会を行います。多数のご参加をお願い致します。なお、予約人数の関係上、新年会に参加されます先輩方は1月7日(月)までに宮本コーチまたは主務塩野までご連絡くださいますようお願い致します。
新年会会場:「寿司安」(TEL 042-676-7052)
毎年のことですが、初稽古に参加される先輩で、車で来校される先輩は、事前に大学への連絡が必要となりますので(駐車場の確保等の事情です)、お手数ですが1月7日(月)までに主務までご連絡ください。
2018年のスローガンは、「初心貫徹」。
2019年のスローガンは、「連覇」だと予測していますが、さていかに。
※写真はすべて2018年の初稽古で撮影したものです。
今年は、創部125周年の記念式典を開催しました。そして平成最後の年でもありますので、区切りの年として、支部のOBに思い出をつづっていただきました。
題して【裏・斌徳シリーズ】。
第一弾は愛媛支部から。
なお原稿を書いていただいたのが本年度のOB戦の前でしたが、本年度は既報の通り、熟年の部で種子先輩が前日練習で負傷しながら見事に優勝、成年の部がベスト16(代表戦で敗退)と、好成績を修められました。ご紹介が遅れて恐縮ですが、圭二先輩がいつも通りの文才を発揮されていますので、ご一読ください。
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中央大学剣友会愛媛支部 井上圭二(H6卒)
「中四国OB大会の思い出」をテーマに与えられました。
愛媛支部では、平成15年の高松大会以降、定期的にOB大会に参加。その名のとおり中四国のOBにもお声掛けし、全国大会にもこれまで2度の出場(成年・熟年各1回)を果たしていますが、今回は、第18回大会(平成28年@岡山市)での熟年の部初優勝に触れたいと思います。
主役は、先鋒・好井剛(62年卒/琴平高)、次鋒・若松信夫(56年卒/新田高)、大将・福崎基夫(56年卒/琴平高)の3名。
久々に「団体の中大」を発揮した戦いぶりを紹介します。
まず、好井先輩。大柄で前傾姿勢。「おいでおいで」と相手を誘い、出てきたら「ほらほら」と軽くかわす。やがて好井ワールドに引き込み一本をゲットする戦法で、見事なイケメン切り込み隊長ぶりを発揮。
次に、若松先輩。大会前に七段を取得し、その勢いもあってとにかく強かった。まず、技が豊富で、常に手数(二段打ち、三段打ちの連発)多く攻めるので打たれない。しかも、完全に「虚」を打っており、敵にしたくないタイプ。
そして、「元祖・引き分け男」の福崎先輩。今は痛風に悩まされているようだが、序盤から予定通りの引き分け。ふわぁ~とした剣風で、知る人曰く「昔と同じ」。ただ、勝ちが必須となった場面では、一転し、必殺「逆胴」が炸裂!六十歳目前に、逆胴を二本決めるのも珍しいが、その意表を突く中大らしさは実にあっぱれ。
かつて津村先生は、相手のオーダーを予測した選手起用に優れていた。それは、言い換えれば、それぞれ特技の違う仕事人集団を、まるで寸劇でもやるかのように役を与え、勝利に向かって精密にストーリーを仕立てること。この教えを徹底した三名の戦いは実に面白く、まさに「愉快なり」でした。
このほか、本大会では毎年色々なエピソードが生まれており、文字数の許す限り紹介します。まず平成26年の広島大会。
2014年12月13日(土)
この写真を撮影した後、篠田先輩(H15卒/松山北高)が、深夜ホテルの寝室でなぜか鼻を骨折し、試合場に辿りつくもホテルに袴を忘れる始末。その間も鼻血は止まることもなくティッシュを詰めての戦いに。これが功を奏したか代表戦でも勝利するなど大活躍し、初の全国大会の切符を手にしました。同じく、地元代表として登場した丸本先輩(H4卒/広高)は、前と後ろで色が異なるシャレた袴を身にまとい、「リバーシブル袴」という言葉の生みの親となりました。
平成27年は愛媛県松山市で開催されました。
2015年12月6日(日)/この写真をクリックすると、整列写真が表示されます
この松山大会では、数十年ぶりに出場した大塚先輩(H3卒/琴平高)が初戦でアキレス腱を断裂。「全然大丈夫よ。」と必死にアピールするも全く歩ける状況ではなく棄権。しかし、翌年の岡山大会では一勝一分と見事にリベンジしてみせました。
平成29年の高松大会では、私、井上弟(H6卒/新田高)が、初戦で早々一本先取するも左踵を痛めこれまた棄権。といった具合に、試合結果はともかく、タダでは終わらない、中大の芸達者ぶりをいまだに発揮しているといった状況です。
本大会の最大の魅力は、年に一度、中大の名を掲げ、戦える喜びにあります。私自身、大会前日に行われる合同稽古会では、必ず藤原崇郎先生(広島県)に稽古をお願いしていますが、いつも、「さすが中大剣道やね。」と言って頂けます。毎年良い結果を出せている訳ではありませんが、これからも「中大剣道」というオンリーワンを誇りに、ケガ無く、ナンバーワンを目指していきたいと思います。
鬼の霍乱(かくらん)とは。
ふだんきわめて健康な人が珍しく病気になることのたとえ。
デジタル大辞泉より抜粋。
思えば東海OB戦前夜。
翌日の欠場を、丁寧な言葉で詫びる無念そうな福間隆二(H24卒)のメールに対して
社会人の先輩としても剣道部の先輩としても、それは厳しく接したものです。
健康管理は社会人の義務ではないのか。
ポイントゲッターの突然の欠場に慌てることなく、堂々と防具を持たずに来場した玉田康朗(H21卒/監督)に対しても
治に居て乱を忘れず、という孔子の言葉を忘れるな。
(=万が一の時のための用意を怠るな)
と辛辣な言葉を浴びせ(高木先生に笑われるって)、それはそれは、後輩たちに対して偉そうにしていたのですが
そのわずか数日後。まさか自分が風邪をひいて、深夜、のど飴を探してコンビニまでよろよろと歩くことになるなんて。健康管理はどうした。のど飴のひとつも手元になかったのか(呆)
原因は、トロント並に寒い名古屋の早朝
米田先輩(H4卒)ばりにコメダ珈琲までモーニングを食べに行き
(注)米田先生は、名古屋に来るとコメダ珈琲でモーニングを食べるという都市伝説があります
ポケモンGOをしながらホテルまで遠回りしたことかな。それが原因で開会式にギリギリ間に合ったことは、後輩たちに知られたくないな。
幸か不幸か、福間先輩と違ってポイントゲッターではないため(職場での話。もちろん剣道ではなく笑)、堂々と休んでさっさと回復。ココに書いたことはすでに過去の話なのですが
ラッキーなことに、その間にいくつか原稿をいただいたので、ボチボチ、更新を再開します。
剣友会費の振込用紙が届いたが
ネットの方が便利なので振込先を教えてほしい
とご連絡をいただきました。
さすが、バンカー。
大変恐縮ですが、10月中の入金の確認がとれなかった先輩には、12月中旬に再度振込用紙を送付させていただきました(例年の通りです)。それをお使いいただくか、あるいは、下記までお振込みいただけますと幸いです。
郵便局(ゆうちょ銀行)
口座記号番号 00140-8-92742 中央大学剣友会
あるいは
埼玉りそな銀行
武蔵浦和支店 普通口座 3865865 中央大学剣友会
*大先輩には、『賛助金』用の振込用紙の再送付は行いません。
振込用紙を使用されない場合、お振込みいただく前に高槻か剣友会までご連絡いただけますと、確認作業が進みますので、幸いです。
現在、10月末までに剣友会会費(大先輩は『賛助金』)をお支払いいただいた先輩方(289名)を優先して、名簿と斌徳(ふとく)を送付する手配をすすめています。
11月以降にお支払いいただいた場合は来年以降の送付になります。なるべく早くお手元にお届けできますように努めますので、何卒ご了承願います。
また創部125周年記念式典開催にあたり、約130名もの先輩に記念品代をお振込みいただきました。同時に、発送手配を進めておりますので、今しばらくお待ちくださいますよう、よろしくお願いいたします。
創部125周年の日の、稽古会の動画です。先にUPしたのは先輩と学生との稽古会。これは先輩同士の稽古会です。
見どころは
千葉(H28卒) VS 松井(H30卒)
3分10秒位のところにいる田崎先輩(卒業以来初めて道場に)
そして
一番最後に写る、全日本優勝の写真です。
YouTubeで直接見る場合はこちらをクリック(約5分)
創部125周年記念式典の日の稽古会の写真です。UPが遅れて申し訳ありませんでした。このページは後で整理します。
続きます
東海OB戦で、羽田野先輩(H17卒)に何気なく
そういえば、先週、H16卒から3人が中大に来たよ。
ワシヤ、タザキ、ニシダっていう珍しいメンバーなんだけど
とつぶやいたら、羽田野先輩、えぇえええっぇっぇえ! と驚愕。ひとつ上の先輩で、大変お世話になりました、とのこと、あの様子では卒業以来会っていないのかもしれません。
中大に来たのも、道場に来たのも、卒業以来と言ってましたが、彼ら自身もちょっと慣れない様子で隅の方に座って遠慮気味。
田崎先輩(大分)は大阪から、鷲谷先輩(秋田経法大附属)は秋田から、西田先輩(甲西)は滋賀から、それぞれ上京して稽古と創部125周年式典に参加してくれました。
同年代で125年に一度の記念撮影。 みなさん!これは珍しい写真ですよ!
H16卒の鷲谷先輩、上原先輩、田崎先輩
(この時、西田先輩はまだ、到着していなかった)
H17卒の中澤先輩
H18卒の高須先輩
この3人は名簿も珍しかったようで(内1名、行方不明者だった笑)、ドキドキしながら自分を探していました。
なお、それぞれに住所が違っていたので(・・・)その場で自己申告。剣友会会費もご入金いただきました。もう会わないから、じゃないよね(笑) ありがとうございました。
これを機に、防具を持って、時々OB稽古会に顔を出されたらいかがでしょうか。
遠方なので大変だと思いますが、同期の上原助監督もいるし
・・・と内心で思っていたら、田崎先輩が、ボク、今でも実業団の試合に出てるんですよ、とボソッ
笑顔でかわして、家に帰ってすぐに実業団のプログラムを探しました。
あーーー大変! 見落としていたんだワ・・・ひょっとして、今まで、ホームページも見ていたのかしら(冷や汗) 上原先輩、教えてくれたらいいのにぃ(怒)
H16卒は、お調子者の ワシヤの印象が強かったのですが、いやいやどうして、キチンとされたOBもいらっしゃいました(えっ それぢゃあワシヤはどうなんだ)。この日の収穫のひとつです。田崎先輩とは、次回は関西支部の飲み会でお会いしたいですが(新年会、いつだっけ)、とにかく今後ともよろしくお願いいたします。
2018年12月15日(土)。今年のOB戦を締めくくり、昭和スポーツセンター(名古屋)で東海OB戦が開催されました。
前述の通り、アクシデントもありましたので、朝の後輩との会話が
あ、タカツキセンパイ! あの・・・福間先輩が・・・
知っとる(怒) 厳しく指導しておいた(怒)
からスタート。言うまでもなく福間先輩自身が一番残念だったと思いますが、本来のポイントゲッター不在のこの日、しかし初出場の3名が大活躍。
先鋒 兵藤佳亮先輩 (H30卒/桐蔭)
次鋒 澁谷優樹先輩 (H25卒/麗澤瑞浪)
副将 羽田野勝利先輩 (H17卒/中京)
初戦は何とか、勝利することができました。
YouTubeで直接見る場合はこちらをクリック(約18分)
東海地区は、二刀流が多いという印象です。他地区のOB戦でも二刀流を見かけますが、この試合は、お相手チームに2名もいらっしゃいました。
リーグ戦の二試合目で、今年の全日本選手権愛知県代表を擁する某大学チームに惜敗したものの、特にルーキーOBの兵藤先輩は、桐蔭の先輩(=福間のコト)不在をカバーする試合ぶりに加え
審判としても東海OB戦にデビュー
石川亮太郎(本大会で過去2回先鋒)はどうした!来ないのか?! と不安そうだった中山先輩(62卒)も、ご機嫌の活躍でした。
ちょっと早いけど午前中で試合終了。初監督の玉田先輩(H21卒)もお疲れさまでした。
前に座っているのは故青山先輩(40卒)の子息です。
今日会えなかった二人は、また来年会えるでしょう。体調整えておいてね。
(2015年、彼らがOB戦初出場の時)
なおこの後、中山先輩行きつけのお店で懇親会をしたのですが、一見さんお断りの格式の高いお店でお名前も出すことができませんので、ホトボリが覚めた頃に紹介させていただきます。
一品目の小鉢から夢中になって撮影していた若いモンが、間違えてお店の名前をSNSにUPしていないか心配ですが
とりあえず、この記事は、ここで終了。
年末の繁忙期を乗り切って、また来年会おう! 諸般の事情でこの日会えなかった順司(H6卒)と楢崎先輩(H14卒)の無事も祈りつつ、お疲れさまでした。