今年の5月4日、京都大会懇親会の席で、清水先輩(55卒/九州学院)が数年以内に範士になるのでは! という話題になりました。
盛り上がりましたが、まさか二日後に現実になるなんて・・・
剣道称号「範士」審査会 合格者一覧(全日本剣道連盟のホームページにリンクします)
※「範士」とは(本件、祝賀会の場でも話題になりました)
全日本剣道連盟のホームページには「剣道称号・段級位審査規則」なるものがありました。
範士は、剣理に通暁、成熟し、識見卓越、かつ、人格徳操高潔なる者。
そして受審資格は、教士八段受有者で、八段受有後、8年以上経過し、加盟団体の選考を経て、加盟団体会長より推薦された者、ならびに全剣連会長が適格と認めた者。
吉報から半年後、中大剣道部同期及び剣友会が主催となって、範士御栄進祝賀会がアルカディア市ヶ谷で開催されました。
清水先輩は謝辞として
多数の剣友との出会いが、剣道人生を豊かにしてくれた。自分には範士の力量がないので、これから気を引き締めて頑張りたい。中大剣道部と剣友会が益々発展されますよう、微力ながら応援したいと述べられました。
当日は、同期が集合されました。
司会は近藤先輩、開会の辞は田島先輩
発起人挨拶は大河原先輩
大河原先輩は
清水先輩の入部当時、本格派の大型新人と期待されたこと。新人戦で結果を出せなくて2回戦で敗退した時に、故津村先生が
「新二はあれでいい」
と言われたエピソードを披露され、故津村先生が、清水先輩の「大器晩成」を見抜いていたのではないかと、語られました。
同じく同期にあたる眞島名誉部長は
まず北原監督からの伝言として、この場に参加できなかったことへのお詫びを述べられ、約30年ぶりに剣道を再開した年の熊本合宿で、清水先輩が八段であることをよく分からないママに「三本勝負」に挑まれ、見事なコテを獲られて負けたエピソードを語られました。
合宿当時はともかく・・・眞島名誉部長はご存知だったしょうか・・・清水先輩の得意技は、まさにコテ。なぜ私が知っているかというと
31年前の某有名雑誌選手紹介欄に、書いてあったから。清水先輩が全日本選手権に出場した時のものです。
井田先輩が、記念品の目録贈呈
その目録を持たれたまま、上の写真の通り謝辞を述べられ、乾杯のご発声は長谷川先輩
乾杯!
この後、歓談
最後の締めが生地先輩(52卒)・・・と思いきや
九州学院の先輩、岩田先輩(51卒)がマイクを取るや否や、先輩を順番にお声がけ
続々と前へ、次から次へと・・・
あの~時間がそろそろ・・・これは何だろうと思っていたら
会の冒頭で登場されなかった多くの先輩を紹介がてら、全員が清水先輩のお祝いのために集合されたんだということの確認で
・・・そりゃあもう、十分に存知あげておりますとも。
と思っていたら突然、名前を呼ばれ
この写真をちゃんとホームページに載せるようにとお達しが。マイクを通して(・・・)。
へい! 岩田親分、喜んで!
帰宅して、眠い目をこすりながら書いた記事が これでした。 実際、全員の笑顔が印象的な、この日のベストショットではないでしょうか。
以上、なぜこの写真を優先してあの日にUPしたかという事情を書きました(2週間かかりました。すいません)。
なお、当日は沢山の集合写真を撮りましたので、この後でUPします。あらためてこの日、集合された先輩方、お疲れさまでした。そして潮部長が言われた通り、この日の運気がそのまま翌日につながり、おめでたい日が続きました。良かった良かった。
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