最近、剣道を、日曜日の夜に見ています。
テレビドラマの、半沢直樹。面マスクしていないんだーとかぼんやり考えながら。
先輩の皆さまにおかれましては、お気に入りの面マスクを見つけられましたでしょうか。
さて前の記事で先人のことを書きましたが、2008年発行の「斌徳(ふとく)」制作時に、故角栄次郎先輩(19卒)からご提供いただいたこの写真がとても印象的でした。
昭和19年9月22日、学徒出陣前に中大正門前で撮影した写真ですが、60年以上の時間を経てとても鮮明で(大切に保管されていたのでしょう)、つい先日のことのようでした。故角先輩とは一度、お電話でお話しする機会がありました。とても若々しい声で、いつかお会いできると思っていました。
「斌徳」五号(P68~69)に、上の写真と一緒に掲載されている故角先輩の原稿を再掲載させていただきます。3年生(2年生?)の9月に卒業し(させられ)、翌年入隊。終戦後に復学されたかどうかは、このときの原稿からは分かりません。
思い出(今は夢のような)
昭和19年も秋戦争も熾烈になって敗色も濃厚になってきました。学生の「徴兵猶予制度」(満二十歳になっても学生の間は徴兵の義務が免除される)が無くなり二十才以上の学生も全部兵役につくことになりました。私も陸軍船舶兵として翌二十年一月に入隊が決定しました。(学徒出陣)
そんな中でも中大剣道部は地下の食堂で昼食にすいとん(お汁の中にうどん粉の小さなかたまりが二つ三つ入っている)を食べながらも意気軒高でした。
三月の卒業式が全学繰り上げて九月になりました。この写真は稽古の後そこにいた部員が集まって撮ったお別れの写真でもあったようです。正式の卒業式もなく日本中が大混乱期、そして部員も一人去り、二人去り戦争の渦中に吸い込まれていきました。
「海ゆかば水づく屍 山ゆかば草むす屍 大君の辺にこそ死なめ かえりみはせじ」(編注1)
「み民われ 生けるしるしあり あめつちの 栄ゆる時に あえらく思へば」(編注2)
そんな歌を信じて、当時の若者は護国の神にならんと戦場におもむきました。
昭和十九年九月二十二日学徒出陣間近、中央大学正門前で撮った思い出の写真を送ります。
前列向かって右から二人目が小生、その隣中央が鈴木信義、その隣左から二人目が堀江、その左後ろ、二人目向って左が金子の三氏です。今私も八十歳になりましたがその頃のことが昨日のことのように想い出されますが今日の日本の繁栄を考えると夢のことのようでもありますし又日本が今正しい道を進んでいるのかも心配でなりません。日本の、いや若い人々の奮起を日々願っている心境のこの頃です。
ここまで。この文章は、もう何回も読みました。
2008年に発行した「斌徳」の編集作業を思い出します。12年前の夏。手書き原稿は、当時の編集部員の誰かがパソコンに手入力して原稿を起こしたものです。
しかし今回は、スマホで音声入力。随分と楽にこの記事を書くことができました。
「学徒出陣」が「GACKT出陣」と変換され、ある意味、そういう時代で良かったと感じ入った次第ですが、それにしても音声入力。あの夏の編集作業を思い出すと、これまた今は夢のような。
補足:12年前に気が付かなかった短歌について。
(編注1)海行かば・・・とは、元は、万葉集にある、大伴家持の長歌。
(編注2)み民われ・・・とは、万葉集にある、海犬養岡麻呂の短歌。