文系学部・文系大学院の卒業式は、3月25日(金)に中央大学多摩キャンパス第1体育館3階アリーナで開催されます。
毎年のことですが、1999年(平成11年)の卒業式の総長のお言葉を紹介します。先輩方はおわかりと思いますが、故高木友之助先生(2代目剣道部部長/1966年~1993年)のお言葉です。
1985年の台湾遠征。左から
津村監督(当時)46歳頃、高木部長(当時)62歳頃、中倉師範(当時)75歳頃
明るい陽射しの春三月、学生生活に区切りをつけて、新しい世界に第一歩を踏み出す諸君の前途に幸い多かれと心から祈らずにはいられません。
しかし、諸君の目指す今の社会は、想像以上に難しい状況にあります。今日まで学園という傘の下で世間の浪風から温かく保護されていた諸君は、これから一社会人としてそれぞれの役割や義務や責任や力量が問われることになります。大げさにいえば、諸君の一挙手一投足が人類の存続や繁栄に直接間接に関わることになりましょう。自分は自分だ、そんなことには関係ないと思うかもしれませんが、人間ひとりの生涯は自分だけでは生きられず、さまざまな人との関わりで生かされているのです。
私たちをとりまく諸情勢は、政治・経済・社会すべて激動混迷を極め、寸秒さきも予測できない渦中に在ります。
こんな中で、諸君はどう生きて行くのか、それぞれの覚悟をお持ちでしょうが、私なりに少し申し述べましょう。参考になれば幸いです。
まず第一は、自分の欲望を抑えることです。小は人間相互の、大は国家・民族相互の紛争まで。すべては飽くなき欲望から生まれます。無限の欲望で有限の物資をわがものにと奪い合うことによって争いは起こります。老子は-足るを知る者は富む-といっています。欲望をほどほどに抑えて足れりとする者こそ心豊かに富める者だといっております。もっと欲しいもっと欲しいと四六時中あくせくする者こそ哀れであります。
第二に、相手の気持ちを思いやるということです。仏の絶対的な慈悲は思いもよりませんが、孔子のいう"仁"-どんな時でも相手の立場になっても嫌る誠実さ-をいつも忘れないことです。自分が苦しい時でも、相手のことを少しは考えて、かたくなな我執を棄てることが大切です。
第三に、自分の良心に照らして正しいと信じたら、断固それを貫くことです。辛くても耐えて安易に妥協せず、欲望に負けずに良心に従うことです。正しければ必ず味方がいます。中央大学という絆で結ばれた多くの師友が、いつでも心の門を開いています。
第四に、未来に向けて新しいものを想像する意欲を持つことです。
例えば、意見を述べる時、自分の意思を明確にすることです。過去の出来事をただ列べたり、他人の意見を述べるだけでは、単なる報告に過ぎません。自分の考え、自分の哲学を盛り込んで訴えることによってこそ前進があります。
諸君のような若者が、創造的な意欲を持つことによって、新しい世界が切り拓かれましょう。
第五に、健康に心を配ってください。若く元気な諸君は、私がこんなことを訴えても他人事のようにしか思わないかもしれませんが、これは大事なことです。若くして優秀な友人達が病のために倒れてゆきました。彼らが元気で活躍していたらと押しまずにはいられません。生命は自分だけのものと考えるのは誤りです。どうか体を大切にして下さい。
輝かしい人生の門出に当って、少しふさわしくないことをいってしまったような気もしますが、別れという感傷がそうさせたに違いないとお許し下さい。
この時期になると、いつも心に浮かぶ在原業平が詠んだと言われる一首があります。
をしめども 春のかぎりの今日の日の 夕暮にさへなりにけるかな
さあ、諸君、別れの時が迫りました。旅の衣をしっかり整え、若者らしく、胸を張り、眉を挙げて、一歩一歩力強く、校門を後にして下さい。
重ねて諸君のご多幸を祈ります。
(平成11年3月24日発行『Hakumonちゅうおう』卒業生号より)
春の彼岸に入り、高木先生のお墓参りに行きました。いつもの通りお花がいっぱいの中、手を合わせてきました。
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