川野誠一郎先輩剣道有功賞受賞祝賀会とOB稽古会の報告
昭和41年卒 海老沢 進
令和5年2月15日、川野誠一郎先輩が全日本剣道連盟より剣道有功賞を受賞されたお祝いと、OB稽古会が実施されました。発起人は黒田 実(昭41卒)、久松好弘(昭43卒)、戸谷晴夫(昭43卒)先輩です。
当日我々は、互いに懐かしの声を上げつつ北区滝野川体育館に集合、午後2時から稽古を開始しました。
(編注)当日の様子を動画にしました。剣道のかけ声以外の音声は入っていません。
*約4分30秒の動画です。
*0分45秒~3分55秒まで稽古風景の動画で、音声があります。音量にご注意下さい。
成松毅彦先輩(昭35卒)を筆頭に、常光 彰(昭36卒)、川野誠一郎、安部 優(昭38卒)、林 信雄(40)の諸先輩、今年80歳になる平野 猛(昭41卒)、同海老沢の計7人が、高齢を物ともせずさっそうと稽古を始めれば、昭43卒の久松、戸谷、志津登美男、中村宏之、昭45卒の上西昌男の諸先輩は、オレ達はまだ少し若いとばかりに勢いよく高齢剣士達に立ち向かい、まるで旧中大地下道場並みの稽古が行われました(本当?)。そしてこの中では本当の若手、平成元卒 高槻和恵、平成7卒 班目晃子先輩の紅二点が高齢剣士の間を若々しく回って稽古をされました。
圧巻は、最後に林八段と八段一次合格まで進んだ平野七段の稽古でした。皆が正座で見守る中、気迫のこもった激しい攻防が展開され、終わると自然に大きな拍手がわき上がりました。
祝賀会は、場所を変えて赤羽駅近くの『ミライザカ』で行いました。昭41卒下山鐵夫先輩もここから参加です。
高槻先輩の司会により、成松先輩が先ず物故者に黙祷を捧げた後、川野先輩の受賞について千葉県連でのご活躍・ご貢献や、知人友人が皆喜んでいる事などを話され、お祝いの言葉を述べられました。
次いで川野先輩がお礼の挨拶をされましたが、本当にお人柄通りの謙虚で慎ましいご挨拶で、こういう人こそ受賞されて当然だと、誰もが喜び、心から拍手をしてお祝いしました。さらに川野先輩から全員に記念品を頂戴し
平野先輩が代表して差し上げた、我々のお祝い品は不十分だったと、発起人一同恐縮し反省しきりだったようです。
いよいよ乾杯の音頭となり、林先輩が剣道有効賞受賞はいかに難しく貴重なものか、川野先輩お一人のみならず、我々全員の名誉である、とのお話の後、全員で高らかに乾杯をしました。
卒業して何十年、再会して稽古をしてお祝いの会でアルコールが入れば、全員食べるより話に夢中。長い人生のたった4年間の大学剣道部生活が、これほどの絆を作るのかと、しみじみ感動した次第です。
名残惜しくも閉会の言葉は、九州小倉からはせ参じた弘友和夫先輩(昭42卒)が、こんなに高齢者の盛んな稽古は見たことない、と笑わせながら締めくくりました。
川野先輩、本当におめでとうございます!
先輩各位
2023年2月15日、37卒今井昭彦先輩(佐賀龍谷高)がお亡くなりになりました。ご葬儀等、17日までに終わっているとのこと、ご子息よりご連絡いただきました。
心からご冥福をお祈りいたします。
川野誠一郎先輩(38卒/鶴見ヶ丘)が2022年度 全日本剣道連盟「剣道有功賞」に選出されたことをお祝いして、有志による稽古会と宴が開催されました。
【この日の稽古会と懇親会に参加された大先輩方】
成松 毅彦先輩(35卒/佐賀高)
常光 彰先輩(36卒/高知追手前高)
川野 誠一郎先輩(38卒/鶴見が丘)
安部 優先輩(38卒/京北高)
林 信雄先輩(40卒/大分三重高)
平野 猛先輩(41卒/甲府商)
海老澤 進先輩(41卒/石神井高)
下山 鐵夫先輩(41卒/中大杉並)
黒田 実先輩(41卒/中大杉並)
弘友 和夫先輩(42卒/小倉高)
久松 好弘先輩(43卒/沼津東)
戸谷 晴夫先輩(43卒/城北高)
志津 登美男先輩(43卒/長生高)
中村 宏之先輩(43卒/横須賀高)
上西 昌男先輩(45卒/向陽高)
斑目 晃子先輩(H7卒/淑徳巣鴨)
海老澤先輩より、ご報告をいただいておりますので、後日掲載させていただきます。本当に楽しい一日でした。
前の記事に、中倉先生の名前を書き忘れ、慌てて追記しました。申し訳ありませんでした。ここにも書いておきます。
●先代の指導者先生方のご命日
昭和54年1月16日 故北島 辰二先生/享年77歳
初代部長(昭和27年~昭和40年)
3代目師範(戦前~昭和54年)
昭和61年5月19日 故須郷 智先輩/享年60歳
2代目監督(昭和28年~40年)
平成12年2月9日 故中倉 清先生/享年89歳
5代目師範(昭和52年~平成12年)
平成12年2月10日 故高木 友之助先生/享年76歳
2代目部長(昭和41年~平成5年)
平成24年4月23日 故津村 耕作先輩/享年72歳
3代目監督(昭和41年~平成6年)
3代目部長(平成6年~平成20年)
平成27年3月17日 故轟木 利孝先輩/享年65歳
4代目監督(平成7年~平成12年)
23年前に、中倉先生と高木先生は一日違いで旅立たれました。
何名かのOBは、高木先生のお葬式で、中倉先生の訃報を知ったと聞きましたが、私が知ったのはしばらく経ってからでした。2010年8月28日、一橋大学体育館で開催された「中倉清先生 生誕100年祭」があり、そこでやっと(心の中で)手を合わすことができたと感じています。
事情あって、先代の指導者先生方の出身校を調べていたときに、珍しい写真を見せていただきました。場所は、昭和44年(1969年)頃の駿河台剣道場。どなたか、分かりますか?
左から(カッコ)内は当時のご年齢
高木先生(46歳頃)、北島先生(68歳頃)、一水伝先輩 (9卒)
こちらは、昭和47年(1972年)頃の北島先生。
北島先生といえば、私はこの写真が印象に残っています。良い写真ですよね。
せっかくなので、この機会にあらためて写真を載せておきます。
12年前の玉竜旗懇親会。
13年前の京都大会
昭和33年(1958年)第6回全日本学生剣道優勝大会で優勝の時(中大3回目の優勝)
*平成30年の優勝が13回目、令和元年の優勝が14回目、令和3年の優勝が15回目。
上の写真は、須郷智監督(当時)ほか選手
平田栄治、下野開康(四年)
笹生達浩、熊谷一義、小池彦太郎(三年)
宮田秀昭、島津治義、矢上德(二年)
津村耕作(一年)(選手は敬称略)
昭和60年(1985年)高野山合宿
その年、10回目の全日本優勝。
津村監督(43歳前後)と4年生。
昭和59年(1984年)頃の台湾遠征。
中倉師範が71歳前後、高木部長が58歳前後
以前にご提供いただいた写真が含まれます。写真をお借りいたしました。ありがとうございました。
(記載内容が間違っていたら、ぜひ、ご指摘ください)
毎年、立春の頃になると、あぁそういえば、と思い出します。
某日、故高木友之助先生(2代目 剣道部部長/1966年~1993年)のお墓参りに行きました。お花が残っていたので、いっぱいに水を注いでおきました。
今回は線香を忘れてしまい、反省しています。
まだ行かれたことのない方へ。
谷中霊園の甲1号10側を奥に進んで下さい。
8時半~16時半は、お水をくむための「手桶」と「ひしゃく」を借りることができます。
コロナ禍の当初(2020年春~2021年)、早朝、電車が空いていたので、よくお墓参りに行きました。今は東京は人手が多く(元に戻った印象があります)桜の名所である谷中霊園、今年は大変な人出になりそうです。
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●先代の指導者先生方のご命日
昭和54年1月16日 故北島 辰二先生/享年77歳
初代部長(昭和27年~昭和40年)
3代目師範(戦前~昭和54年)
昭和61年5月19日 故須郷 智先輩/享年60歳
2代目監督(昭和28年~40年)
平成12年2月9日 故中倉 清先生/享年89歳
5代目師範(昭和52年~平成12年)
平成12年2月10日 故高木 友之助先生/享年76歳
2代目部長(昭和41年~平成5年)
平成24年4月23日 故津村 耕作先輩/享年72歳
3代目監督(昭和41年~平成6年)
3代目部長(平成6年~平成20年)
平成27年3月17日 故轟木 利孝先輩/享年65歳
4代目監督(平成7年~平成12年)